イベント報告
Rota Coffee Project part6
ロタコーヒー農園復活プロジェクト第6弾
 【待望のUCC上島珈琲(株)スタッフと共に】

ついにここまでたどり着いた。2019年8月26日(月)朝、成田空港で中平さんと合流した。中平さんはUCC上島珈琲(株)農事調査室長で、コーヒー栽培に関しては国内の第一人者だ。やっと、その中平さんにロタのフォレストコーヒーの良し悪しをチェックしてもらえる時が来たのだ。そのコーヒーの存在はコーヒープロジェクトの一環で標高の高いジャングルを探索中に偶然に発見した。昨年6月のことだ。それまではロタ島民ですら、その存在を全く知らなかった。そして、この発見に一番驚いたのは彼ら島民自身だった。

それらのコーヒーは我々が生まれるずっと昔からそこにあったもので、ロタ島民が栽培したものではない。すなわち、自生しているのだ。だから、ロタ島民も我々もコーヒーの生育に関する知識は全くない。そんな状況下、今回のロタ訪問で中平さんの判定結果が凶と出るか、吉と出るか。どっちにしろ白黒はっきりするのは今後の展開を決める上で大きな前進だ。

【25年前の記憶と直感と】

思えば、25年前(1994年)にジェリー・カルボ宅でロタ産コーヒーを1杯ご馳走になったことがある。自宅用にガガニ地区のフルーツ農園に数本植えていると云うことだった。その時、ロタ島にコーヒーがあることを知って、たいへん驚いたものだ。でも、その時はトライアスロン大会を立ち上げるためにロタ島を訪れていたので、コーヒーの存在はスルーしてしまった。でも、頭の片隅にはずっと残っていた。そして、20年後、その1杯の記憶がファクトとしてあり、ロタ島民たちの反対を抑えて、大西の直感で始めたのが現行のロタコーヒープロジェクトだ。当初、デビット(DLNR--Departmentof Lands & Natural Resources--のボス、現地コーヒープロジェクトのリーダー)たちも「できない」と消極的で真剣に取り組まなかった。それでも背中を押し続けた。

また、同じ頃(25年前)、ガガニでドトールコーヒーの関係者がコーヒーの視察にロタを訪れたことがあると聞いた。おそらくガガニにある数本のコーヒーを見たのだろう。ガガニは標高が低く、海沿いの場所だったので、コーヒー栽培には適さない。だから、貧弱なものだったと思う。現在はほとんど残っていない。ドトールコーヒーの関係者はそれらを見て、ビジネスにはならないと判断されたのだろう。でも、今思えば、その頃にはサバナ高原のジャングルの奥深くに人知れずコーヒー自生地が存在していたのだ。そんなことは知る由もなかっただろう。

【あわや・・不安的中】

現在、日本からロタへ行くためにはグアムで1泊しないと行けない。だから、我々も26日はタモン地区のコンドミニアムに泊まった。夕方、ローカルエアーのスターマリアナス航空へ予約の確認を入れた。やはり不安的中、予約はされていなかった。こんなことはここマリアナではよくあることだ。スターマリアナスはグアム〜ロタ〜サイパンを運航する唯一の航空会社だ。機材は8人乗りという貧弱な航空会社だ。ここのマネージャーが古くからの友人のジョー・クルズだったので、ジョーを通して予約した。後になって思えば、それが間違いだった。因みに、2年前まではユナイテッド航空45人乗り機材が運航していた。今思えば、夢のようだ。

ジョーも責任を感じたのだろう、チャーター便ならすぐに手配できると電話してきた。我々5人、ここグアムで時間を無駄にする訳にはいかない。当然、翌日のチャーター便を用意するように伝えた。グアムからのチャーター便はびっくりするほど高いが仕方ない。後になって思えば、今回の旅のトラブルはこの時のジョーだけだった。

【ロタ市長との面会と支援金】

27日(火)、昼過ぎにグアムから8人乗りチャーター機でロタへ到着し、直ちに空港からロタ市役所へ直行した。前もってアタリック市長に事情を伝え、デビットたちコーヒー関係者を市長室に集めておいてもらった。中平さんとアスロンコーヒー焙煎所の阿部さんをアタリック市長に紹介するためと、「ロタコーヒープロジェクト」クラウドファンディングの 支援金3万ドルを市長に手渡すためだ。我々が遅れて到着したにも拘らず市長を始めそうそうたる面々が市長室で待ってくれていた。長年の信頼関係を感じた。

当初、支援金は、今年末の収穫から支援者たちに少しでもコーヒー豆を手渡してからと考えていた。しかし、ロタ政庁のキャピタルであるサイパン政府が2018年末から極度の財政難に陥っており、サイパン政府からコーヒープロジェクトの担当部署ロタDLNRに事業資金が下りて来ず、資金面で窮地に陥っていたからだ。このままだと頓挫してしまうと思い、急きょ、支援金を手渡すことにした。このお金があれば、当面の最低限必要な設備機器を購入することができる。且つ、彼らのモチベーションをキープさせることもできる。

市長室でのやるべきことが終わった後、中平さんと阿部さんにデビットたちがフォレストコーヒーの若木を移植したシナパル村のコーヒー農園を視察してもらった。中平さんの評価はまずまず合格で、このまま継続だった。本丸のフォレストコーヒーのチェックは翌日だ。

その夜はアタリック市長がテテトビーチで歓迎のBBQを催してくれ、美味しいBBQを食べながら今後の展開について皆でワイワイガヤガヤ、楽しい時間を過ごした。

【いよいよフォレストコーヒーの調査へ】

28日(水)朝9時、中平さんと阿部さん、それにデビットたちDLNRスタッフと我々の計10名で標高約350mの奥深いジャングル地帯にあるフォレストコーヒー自生地の調査に出かけた。4輪駆動車で背丈の長い草の生い茂ったジャングル道を20分間ほど進み、道がなくなってから、さらに徒歩で約20分間のジャングルトレイルを進み、ようやくアスアコド地区にあるフォレストコーヒーの自生地に到着した。アスアコド地区へ続くジャングルトレイルは中々のもので、左手眼下にロタブルーのフィリピン海を眺めながら進む。また、野生のアボカドやカカオの木があったりして楽しいトレイルだ。

そこは鬱蒼としたジャングルで、その中に緑色の実を付けたコーヒーの木があちこちに点在している。足元には、数えきれないほどの小さな若木があり、それらは落下したコーヒーの実から育ったものだ。 ここアスアコドの自生地は昨年6月にコーヒープロジェクトのジャングル調査で偶然見つけたものだ。そして、岩山に囲まれたアスアコドの地形が過去幾度となく襲った台風からコーヒーの自生地を護ったのだ。

因みに、ロタ島にはヘビや猛獣等々の危険な生物は生息していない。 だから、安心して鬱蒼としたジャングルでも分け入ることができる。また、湧水が豊富で蛇口から水道水を飲むことができるほど良質の水にも恵まれた島だ。

【人を呼べるロタフォレストコーヒー】

コーヒー栽培の国内第一人者である中平さんがアスアコドのコーヒーの木や実の状況を見て、 どのような評価を下されるのか、我々もデビットたちも内心ドキドキだった。

しかし、中平さんの評価は思った以上に嬉しいものだった。中平さんはコーヒーアドバイザーとして、中米、南米、アフリカ、アジア、ハワイ等々世界のコーヒー生産地を飛び回り、コーヒーに関する知識は豊富だ。その中平さんからロタのフォレストコーヒーは「人を呼べるフォレストコーヒー(フォレストコーヒーとは、栽培に人の手が全く入っていなコーヒーのこと)です。」と云う高い評価を頂いた。

コーヒーの元々の姿、すなわち、太古の姿がここにあると云う。そして、今なお、このような生態系が残っているのは素晴らしい、レアなケースであると。何と、野生コーヒーの貴重な生態系が自然の形で、日本に近い、USテリトリーのロタ島に残っていたのだ。21世紀に入って、こんな生態系が見つかったのは奇跡みたいなものだ。ロタ島の宝、他にはない貴重な観光資源の誕生だ。ただ、唯一の不安はロタ島民の誰もがこの自生地の価値と今後の展開を十分に理解できていないことだ。

コーヒーの起源であるエチオピアのフォレストコーヒーとロタのフォレストコーヒーは自然環境がよく似ているということだ。むしろ、エチオピアのそれよりもロタの方が森が深く生育環境は素晴らしいとも云われた。それ故、ロタのフォレストコーヒーは木や実のコンディションがたいへん良いと云う評価で、この価値を維持するためには、今後もアスアコドの自生地に人の手を加えることなく、 自然のままにキープしなければならないと。また、コーヒーが自然を壊すのではなく、自然を守るためにあると云う生態系がここに存在しているとも言われた。そして、これらのコーヒーは人を惹きつける魅力があるとも。今後の告知いかんでは世界中からエコツーリストやコーヒー関係者がロタのフォレストコーヒーを訪れる可能性が大きいと云うことだ。

【土壌調査とDNA検査】

また、アスアコドの土壌調査(pHや窒素やリンやカリウム等々の含有ミネラル)もして頂いた。結果は合格だった。さらにDNAを検査するために若葉を数十枚採取した。 コーヒーに関するDNA検査はフランスの検査機関に送ると云う。結果は1か月後だそうだ。楽しみだ。これによって、ロタコーヒーのルーツがはっきりと分かる。大航海時代にスペイン人が持ち込んだものか、それとも、戦前の日本統治時代に日本人が持ち込んだものか。我々はワシントンDCにある国会図書館で見つかったスペイン文献からスペイン人と思ってたが、中平さんはコーヒーの外見から日本人の可能性が高いと言われた。

視察後、今後の栽培指導やアドバイス、それに人を呼ぶためのプロモーション等々はUCCが協力できると言われた。 大きく前進できそうだ。

当初は25年前の1杯の記憶と直感だけの見切り発車で、ロタ政府を巻き込みプロジェクトをスタートさせた。しかし、当初の1年間ほどはなかなか思うようにことが進まず、ロタ島民たちのモチベーションをキープするために昨年4月に「第1回ロタコーヒーマラソン」を開催した。この時、マリアナ政府観光局も大会運営費の負担を心配してくれ、コーヒーマラソンは中止にしたらと忠告をくれたほどだった。そして、島民だけでなく、KFCメンバーたちも、皆が諦めかけた時、運よくマウンテンコーヒーの自生地が見つかり、 そして今、日本最大のコーヒー企業UCCの協力を得ることができたのだ。

午後、デビットたちの案内で、中平さんにサバナ高原(標高約500m)で計画中のコーヒー試験栽培地を見てもらいに行った。まずは15ヘクタールの土地にアスアコドから採取してきたフォレストコーヒーの若木を植える計画と云う。 そして、ここサバナ高原からは眼下にロタブルーの海とグアム島の島影を臨むことがでるビューポイントがある。将来、風光明媚なこの高台にロタコーヒープロジェクトの支援者を招待して、ロタコーヒーを味わってもうためのカフェを作りたいものだ。そして、帰国後、9月18日付けの現地新聞トップページに我々のロタ訪問の記事が掲載された。

【今後の展開】

将来の展開としては、貴重なフォレストコーヒー自生地を観光資源として、エコツーリストやコーヒー愛好家を呼ぶ。そして、収穫した豆を焙煎し、商品化して、ロタ、サイパン、グアムでお土産として販売する。ロタ島の規模から考えると、先ずはこの程度かなと思う。当面はこの2本立てで地味にやるのが良い。そして、この計画が上手くいけば、今様子見の島民たちも一斉に自分の土地でコーヒー栽培を始めるだろう。すなわち、ケ小平の「富める者から富め」という戦略だ。

我々が願うロタコーヒープロジェクトの最終形はフォレストコーヒーがロタに観光客を呼び、コーヒー産業を作り、そのうねりが中型機を運航させることだ。具体的には現在開発中の国産初ジェットの三菱スペースジェット(70席)を日本からダイレクトに週3便を運航させることだ。それによって、 ロタ経済の長引く負のスパイラルを断ち切り、かつての活気を取り戻せると考えている。安易な小手先仕事での復活はあり得ない。そして、将来的にはトライアスロンの復活も。まさに「捲土重来」(けんどちょうらい)の実現だ。

【最後に今回のロタ訪問動画】
【これまでの足跡】

■Rota Coffee Project2018 Part5の詳細は【こちら】をご覧ください。

■Rota Coffee Project2018 Part4の詳細は【こちら】をご覧ください。

■Rota Coffee Project2017 Part3の詳細は【こちら】をご覧ください。

■Rota Coffee Project2017 Part2の詳細は【こちら】をご覧ください。

■Rota Coffee Project2013 Part1の詳細は【こちら】をご覧ください。

2019/09/28 KFC記