南の島の仲間たち
ロタ島の仲間たち
ちょっとお洒落なアタリック市長
エフレン・アタリック(ロタ島市長)

2014年11月の選挙で勝って、2015年1月からロタの新市長に就任した。 アタリック市長もメンディオラ前市長と同様にKFCとの付き合いは古く20年程になる。

彼はずっと市役所の職員を務め、歴代市長の補佐として勤めてきた。おそらく20年くらい。もちろん、市長の補佐役として、 トライアスロン運営をずっとサポートしてくれた一人です。だから、立ち上げ時の苦労もよく知っており、上手く運営するためには、 いつ何をすべきかもよく心得ている。

役所の職員時代は、市長のサポートに徹し、これと云って目立った存在ではなかった。しかし、市長としては、 かなり優秀かもしれない。これまで多くの市長に仕え、いろいろ多くを学んだのでしょう。

だから、その政策も的を得ており、ロタ島復活が期待できるかもしれない。


鳥打帽が好きな、ちょっとお洒落なメンディオラ市長
メルチオ・メンディオラ(ロタ島市長)

2009年11月の選挙で勝って、2010年1月からロタの新市長に就任した。 メンディオラ市長もイノス前市長と同様にKFCとの付き合いは古く1994年からである。

1994年に第1回ロタブルー・トライスロンを立ち上げた時、市長はイノスで、その右腕がメルチオだった。 そして、メルチオが鋭いサンゴがむき出しだった東港に初めて重機を入れて埋め立ててくれた。

また、荒れ放題だった ランコースにブルトーザーとローラーを入れて整地してくれたのも彼だった。それを1997年まで4年間ずっと やってくれた。だから、イノス同様、彼にとってはロタブルー・トライアスロンは自分が作ったイベントという自負が強い。

また、1995年の第2回大会の時、政党間の争いに巻き込まれ開催危機に見舞われた。その時、メルチオと協力してそのピンチを 乗り切った経緯がある。のんびり、ゆったりしたマリアナにあって、珍しく頭の切れる男だ。

そんな過去の濃い背景があり、これからの4年間を再びKFCと一緒にトライアスロンができるのを楽しみにしているという。

1998年にベンジャミン・マグローニャが市長選挙に勝ち、イノスが負けたと同時にメルチオも政権から去り、 KFCとの関係は途絶えていた。KFCのイベントは常に時の政権と組んで開催するので、負けた者はタッチすることは できないのである。この事は勝った者も負けた者もよく理解しているので、何のわだかまりもない。

彼はチャモロ人には珍しくお洒落で普段は鳥打帽を愛用している。面白いことに、テニアンの新市長のレーモンもお洒落 でカーボーイ・ハットにブーツを愛用している。

家業としては、島内でスーパーマーケットやコインランドリーを経営している。


市長室で執務中のイノス市長
ジョセフ・イノス(前ロタ島市長)

2005年11月の選挙で勝って、2006年1月からロタの新市長に就任した。 しかし、イノス市長とKFCとの付き合いは古く1994年からである。 第1回ロタブルー・トライスロンは、当時も市長(1994〜1997年)だったイノス政権の下で立ち上げた。 そして、第4回大会までイノス政権の下で開催した。 だから、彼にとってはロタブルー・トライアスロンは自分が作ったイベントであるという自負が強い。

KFCとの関係は信頼関係も強く、非常に良好である。

2006〜2009年は第二次イノス政権ということになる。

家業としては、昔からロタ島でパン屋を営んでいる。しかし、イノス自身はご飯が大好きで、 毎朝白いご飯に梅干しと味噌汁という献立だ。しかし、カリカリ梅は嫌いだそうだ。 そんな訳で、イノスへのお土産はいつも梅干しを持っていくと喜んでくれる。

・市長の任期8年間を全うして、2010年1月に市長の座を退いた。


知事公舎でのジェームス
ジェームス・サントス(元北マリアナ政府商務省の局長)

ロタ出身。今はサイパン空港の近くに住んでいるが、ロタ島にも土地や貸家をたくさん持っている。 96年のロタブルー・トライアスロン大会に現地の大会事務局長をしたことが縁で付合いが始まり、今に至る。

入国管理局(イミグレーション)ロタ支局長や政府サイパン観光局上級職員を経て、 現在は自分の会社を設立し、コンサルタント業をしている。現地情報の入手に関して、 彼の豊富なローカル・コネクションに助けられることが多い。

サイパンに行った時はいつも彼の家で美味いBBQをご馳走になるのが習慣になってしまった。

2006年5月から北マリアナ政府コマース(商務省)のボスに就任。 ちょっと偉い人になったが、ロタ・ホスピタリティは変わらない。 偉い人になっても、直ぐに動いてくれる頼りになる仲間である。

・2008年末に商務省を退任した。


ベイブリーズでリラックスしたエドさん
エドワード・マラチタ(マリアナ政府観光局理事)

観光局の理事と云う立場からKFCのイベントをいつもバックアップしてくれる頼りがいのある友人である。 また、ロタ・ソンソン村にある肉屋とレストラン「ベイブリーズ」のオーナーでもある。

ロタに行くと、いつもベイブリーズの横手で美味いバーベキューをご馳走してくれる。 彼の所でご馳走になるバーベキューは、肉だけでなく、ロブスターやヤシガニもあり、ちょっとグレードが高い。 通称エドさん。


MTBレースのスターターとして、早朝からやってきたメイヤー
ベンジャミン・マングローニャ(前々ロタ島市長)

ロタ島内では市長が米合衆国大統領と同様の権限を持ち、まるで小さな大統領のような存在であり、 政治権力においては、日本の市長とは大きく異なる。政府関係者のみならず警察署長の人事権も市長が持つ。

ベンジャミン市長とKFCは98年からの付合い、市長のKFCに対する信頼は厚いものがあり、 KFCのリクエストに「NO」と言ったことはない。トライアスロン大会の時などは、市長の命令の下、 港や道路の整備など、 皆が一丸となって協力してくれる。かつて、MTBレースを開催した時、MTB用に島を縦断する道を新しく 造ってくれたのには驚いた。

パーティの時、スピーチの長いのが「玉に傷」であるが、その演説内容が可愛いので許せる。 彼の最近のお気に入りのスピーチは「Rota is Delicious!」である。 ロタのBBQパーティの食べ物は子豚の丸焼きや鹿肉などが振舞われ、本当に美味い。

・2006年1月に8年間の市長職を引退し、現在はノンビリをウォーキングなどをしたりして暮らしている。 陽に焼けて、市長の時より健康そうに見える。市長を引退しても、よき友人であり、 チームKFCのメンバーである。


レース後のビールは美味い!
ジョセフ・サントス(通称ジョー)

KFCトライアスロンクラブ・ロタ支部リーダー。十代から米陸軍一筋に勤め上げ、落下傘レインジャー部隊所属を 最後に現役退役。現在は米陸軍予備役。93年からKFCの一員として活躍。その人柄は非常によく、また、ロタ・ホス ピタリティの塊のような男。 ロタでは若い世代のリーダー的存在。友人として、仲間として、非常に信頼できる頼もしい奴。

KFCロタリーダーを誇りに感じており、平和な時代の2003年までは毎年「青梅丘陵高水山岳マラソン大会」 に参加するために青梅まで来ていた。 また、米軍横田基地に勤務していたこともある。また、彼の従兄弟が横田基地で学校の先生をしている。

2005年2月から2006年1月まで戦地イラクに米軍の兵士として戦地イラクに派兵されていた。 帰国後、しばらくグアムにいたが、その後正式に陸軍に入隊して、米国テキサス州の陸軍基地やアラスカ基地 などを転々と移動している。

2004年に交通事故で突然息子を亡くし、その後、イラク派兵、帰国と同時に父親を病気で亡くしてしまった。 これらの一連の不幸で気の優しいジョーは参ってしまったようだ。

その結果、軍という俗世間からかけ離れた環境に身を置くことに決めたのだろう。 一刻も早く精神的に立ち直ってロタに帰って来て欲しいものだ。

                    

・彼の年齢からして危険な戦線に派兵されることはないはずだ。時々、基地内から近況報告のメールをくれる。

                    

・2012年に軍を退役し、その年末にイタリアへバケーションに行くと言って、出かけたままです。


アワードパーティでスピーチする揚がり症のアイク
イグナシオ・メンディオーラ(通称アイク)

ロタ島市役所の上級職員。役所の中では頭脳の良さはピカイチ、KFCの考えやスポーツイベントの意味をよく理解しており、 KFCとの信頼関係は非常に強い。体型はボディビルダーのようにマッチョ、日本語も少し話せる。 筋トレ等していないのに、どうしてあんなに腕が太いのか不思議??である。 また、大きな身体をしているが、その実とても揚がり症である。KFCイベントには欠かせない友人の一人。

・2007年からロタテレビ局のディレクターをしている。トライアスロンを撮影してローカルテレビで放映している。 そのDVDを製作して、我々に手渡してくれるのも、彼の大切な仕事だ。


マチョマン、エド
エド・バルシナス

KFCロタメンバー。職業はロタ島の警察官。97年からトライアスロンを始め、今ではトライアスロン中心の生活をおくり、 練習の虫。真面目な性格ゆえ、野菜が身体によいと聞けば野菜ばかり食べ、 魚がよいと聞けば魚ばかり、程度をわきまえることを知らない。 サイパンでも、レストランのランチバイキングで野菜ばかり山盛り何杯も喰っている変な奴がいる、 と噂になったことがあるほど。

また、宮塚選手や白戸選手など日本のプロトライアスリートを非常に尊敬している。 体型は筋肉質でゴッツイがランは得意、朝4時起床、家から飛行場まで往復30kmのランが日課、 これも真面目な性格ゆえ。

ちなみに、島の人たちの朝は早い。学校も6時半にはスクールバスが迎えにくる。 KFCのBBQ所の一つ。日本人の血が25%入っている。

2005年2月から2006年1月まで米軍の軍人として、ジョー・サントスと共に戦地イラクに 派兵されていた。帰国後、ロタにしばらく住んでいたが、現在はグアムに住んでいる。

・2008年から戦地アフガンに派兵されたと聞いている。

・2012年、アフガンからは無事に帰還し、米国本土の基地に住んでいる。


何を見ている?マーク
マーク・マイケル(ダイビングショップ「ダイブ・ロタ」のオーナー)

トライアスロンやオーシャンスイムの選手としては参加しないが、 KFCロタメンバーとしてスイムコースの設営(ブイ打ちや測量など)や 大会当日には選手安全確保のためレスキュー体制の陣頭指揮を執る。

日本から前もってリクエストを入れておくと、我々が現地入りした時点ですべて準備が整っている。 海関係に関しては非常に頼りになる頼もしい奴である。刺激の少ないこの島で、 ロタ在住の親日派アメリカ人。非常に陽気な人柄。若い頃は幻のダイバーと呼ばれたほどの優れた 潜水技術を持っている。 昔はカッコ良かったが、最近は少し太って腹が出てきた。

・2006年2月に「ダイブ・ロタ」をクローズしてしまった。 原因はお客さんの減少である。その後は、「セレナ」でアルバイトをしている。


無線でスイム・レスキュー班に指示を送っているリン
リン・マイケル(マークの奥さん、ダイブロタの実質的オーナー)

マーク共々KFCのよき理解者であり、協力者の一人。 彼女の職業は元大学教授で、遥々米国本土の大学へ教鞭をとるために出張することが多かった。 彼女の著書も多い。どうも有名人らしい・・・。

KFCの大会の時は、東港の船着場先端に立ってスイムコースのレスキューにあたっている 各ボートやダイバーに無線で指示を出すのが、 いつの間にか彼女の役割として定着してしまった。左手に立っているのがDPS(ロタ海上警察)の ボス・ジョージ・バルスナス、レスキューにあたっている部下のDPSボートにリンと共に指示を送っている。 (トライアスロン大会でスイム・パートを仕切っている時の写真)

・大学教授退職後はロタ・ハイスクールの校長をしていたが、2008年からロタ図書館の館長を務めている。


ダイブロタのフロントで
エドガー・ターゾン(通称エド、ダイブロタの受付)

ダイブ・ロタのショップ内のことは全てエドが任されていた。ダイビング・スタッフとして海に出ることはない。 KFCの備品(プリンター、スイム・ブイ、スイムキャップ、筆記用具等々)は年間通してダイブロタに預けてあり、 それの保管・管理は全てエドがやってくれる。非常に信頼できる仲間である。 フィリピンからの出稼ぎ労働者で、奥さんも子供もロタ(シナパル村)に住んでいる。

・2006年、「ダイブ・ロタ」閉鎖と同時に設計関係の仕事に転職し、今もロタで暮らしている。


ダイブロタにて
ナネット・アレキサンダー(通称ノノ、ダイブロタのスタッフ)

彼女はダイビング・スタッフなので、大会の時はいつも沖で潜ってスイム・ブイの設営を マークやセレナのスタッフ達と共にやってくれた。 そして、レースの日はシーカヤックを操って選手の安全を確保してくれた。 1999年に青梅にやってきて「青梅丘陵高水山岳マラソン」に参加したこともある。 ノノとの最初の出会いはお互いの誤解が原因の大喧嘩であった。しかし、今は信頼できる仲間の一人である。

・2006年頃にロタを引き払いアメリカへ帰ってしまった。


ポリスの制服が似合わないライ
ライ・マングローニャ

KFCロタメンバー。98年までは「ダイブ・ロタ」でダイバーとして働いていた。 その頃の髪型はモヒカン・ポニーテールという漫画チックな風貌であったが、警察官をしている今は真面目 な坊主刈りである。

ロタKFCメンバーの中では、スイム、バイク、ランの3種目において最もバランスがとれている。

ロブスター捕りと水中銃を使った魚取りの名手。 ダイバー時代は「サメの天敵」と呼ばれ、ダイビング中にサメが近づいて来ると、素手で鼻先を殴って退散さ せてしまう。

                               

・2008年、警察官を辞めて、もっと給料の高い軍へ入隊した。2009年にはアフガンへ派兵されると 聞いた。

                               

・2011年、退役し、ロタへ帰り、再度、警察官をやっている。


ガガ二フルーツ農園にて
ジェリー・カルボ

93年観光でロタ島に行った時に偶然知り合う。そして、94年第1回ロタブルー・トライアスロン大会のロタ側事務局長を努め、 お互いに苦労してロタ島初のトライアスロン大会を成功させた間柄。そのため信頼関係は非常に強く、家族付合いをしている。 ロタ・ガガ二フルーツ園のオーナーだが、1999年から娘の留学先である米国テキサス州に移り住んでいる。 家族で青梅に遊びに来たこともある。趣味はゴルフ。

1999年に、娘の米国留学に付き添っていったままロタには戻ってきていない。 その後、テキサス州で空港の職員をしていると弟トーマスから聞いている。

・2008年にはニューヨーク・ケネディ空港のTSA(荷物検査係)のボスをしている。マイケル・ジョーダンや タイガーウッズなどの超有名人はフリーパスだそうだ。KFCのオオニシさんもフリーパスにすると言っているそうだ。

・2011年現在は米国バージニア州に住んでいる。時々メールが届く。


可愛いトミー、東港にて
ト−マス・カルボ(マリアナ政府観光局ロタ支部のボス、通称トミー)

ジェリー・カルボの弟。一見、髭面で体がデカく、声が大きいので非常に怖く感じるが、実は、根は優しくて、頼りになる奴。 そして、可愛いきれい物好きのロマンチストでもある。一を言えば十を理解できる頭脳の良さを持ち、我々の大切な仲間である。 今では、大会準備に関する彼とのミーティングは1分あれば事が足りる。イチを告げておけばよい。

彼との始まりは、94年の第1回トライアスロン大会準備のため、我々がバイク用の道路を箒で掃いていた時、 見よう見まねで手伝い始めた最初のローカルが彼であった。 それまでは道路を箒で掃くという習慣はロタにはなかったので何をしているのだろう、 おかしな日本人たちがやって来たと思ったという。

また、その後、彼が当時の観光局長と大喧嘩をして観光局を「クビ」になった時、 我々が彼のカムバック運動をサイパンで大々的に展開して復職させたということもあり、 今ではツーカーの仲で ある。ちなみに、ロタ観光局の人事権に関してはマリアナ政府観光局長や理事、北マリアナ連邦の知事など にあり、ロタ市長にはない。

1993年からずっと同じ関係が続いている数少ない仲間の一人だ。

2011年後半にロタ観光局を辞め、息子の暮らす米国テキサス州へ移住した。


ジュリアン・カルボ

北マリアナ連邦上院議員の経験を持ち、ロタ島の有力者で次期市長の最有力者、KFCの良き理解者である。 グアム島を拠点にビールやソフトドリンク類の販売独占権を握っている「カルボ・エンタープライズ」の オーナー陣の一人。ロタ・ベイビューホテルのオーナーでもある。いつもニコニコしている。

・2006年からロタで唯一の病院「ロタ・ヘルスセンター」の病院長をやっている。


早朝、競技スタート前のやや緊張のフランク、でも選手ではなく観客。
フランク・カルボ

元ロタ政庁のスポーツ振興セクションのボス。トライアスロンやオーシャンスイム大会の準備や運営を通して知り合う。 ジュリアンの弟でジェリーの従弟。人柄が非常に温和で、役所を辞めた後も付合いは続いている。 信頼できる仲間の一人である。

  

99年のトライアスロン大会競技中に、パプアニューギニアで大地震が起こり、 巨大津波がマリアナ諸島に向かって来ているので、 競技を即中止して高台に選手を避難させよ、という連絡がロタ警察から入ったことがあった。 その時は選手はバイクやランで島中を走り回っている状態にあった。直に、選手を高台に避難させることは 物理的不可能である。

彼は機転を利かせて、即、グァム米軍地に正確な情報尋ね、事なきを得たことがあった。 津波は当初の予想に反してハワイ方面に向かっていたことが分かって、ヤレヤレ。


KFCチーム・キャップを被ったルディ
ルディ・サントス

KFCロタメンバー。スイムが得意。得意のスイムを活かして、テテトビーチ沖で溺れていた日本人観光 客を助けたことがあり、人命救助としたとして新聞に載った。デブのためランは苦手。一人でこっそりTVを 見てエアロビクスをしているが、未だにデブのままである。ちなみに、チャモロ語でもデブはデブである。

ジョー・サントスの弟。ロブスター捕りの名手。 白いご飯にワサビ醤油をぶっかけて食べるのが大好きな変な奴。

                                

2002年、家族でグァムのマンギラオ村に移り住んで、グァム空港内のPIAのカーゴ部門で働いていた。 しかし、2005年2月10日にPIAが閉鎖したので、職がなくなってしまった。

2007年からグアムの学校で電気工事を教える先生をしている。 昔、ロタで役所の仕事で電気工事をやっていたのが役にたっているようだ。

2012年、先生は辞めて、グアムにある日本企業で働いている。


唯一人の伝統の継承者「ミスターロタ」。ナイフ一本で鹿をつぶすのも手馴れた手つきのベン
ベン・ロザリオ

ロタ島文化である伝統の踊りを継承している唯一の男。顔に伝統のメイクを施し、 サメの歯の首輪と椰子の葉っぱの腰ミノを着けて踊っている姿は様になっており、 その最中は陶酔状態に入っていることが多い。この分野ではベンの右に出る者はいない「ミスター・ロタ」 と言っても過言ではない。

また、どこで覚えたのか、日本語の上手さはマリアナNO.1である。敬語も使える。ある意味語学の 天才である。それを活かして一時期ツアーガイドをやっていたが、 常に自由を好み、古き昔のチャモロの姿を追い求めている。束縛されるのを好まない。

2004年頃から米国テキサス州に行ったまま帰って来ていない。ベンちゃんがいないロタは寂しい。 早く帰って来て欲しいものである。なぜか、チャモロ人は皆テキサス州に行く、テキサスにはチャモロ人 の社会があるのだろうか。

                                

・2008年に米国テキサスからロタへ帰り、昔ながらのチャモロ文化を子供たちに語り伝えることに 情熱を燃やしている。


顔や身体からは想像できないほど優しいおばさんである。概してチャモロ人は皆心優しい。
ボディ

2006年からサイパン〜ロタ〜グアム間を繋ぐ現地航空会社フリーダム・エアーのロタ空港の職員だ。 それまでは、PIAという現地航空会社で働いていた。彼女はロタ島在住のコテコテのチャモロのおばちゃんで、 普段はロタ空港内にあるフリーダム受付カウンター奥の事務所にいる。役職はこの事務所のボスである。

彼女が出勤の時は、T−シャツなどの大きなダンボール箱がある時でも安心して預ける事が出来る。 なぜなら。KFC荷物は特別扱いで取り扱ってくれるから誤送の心配がなく安心して預けることができる。 また、荷物のオーバーチャージ料金も請求されたことはない。

以前、大会用のT−シャツがどこかに誤送されてしまい困ったことがあった。 この時、ボディが役職を利用して懸命になって捜索してくれて、事無きを得たことがあった。 それは何とグァム郵便局で発見されたのである。


レストラン、アスパリにて
林万記(ハヤシカズヨシと読む・ダイビングショップ「セレナ」のオーナー)

ロタの海を最も知り尽くしている日本人ダイバー。今はなきパウパウホテル・ダイビング部門のダイバー として、94年第1回ロタブルー・トライアスロン大会の時から海関係のケアを「ダイブ・ロタ」のマークと 一緒に手伝ってもらっている。現在はソンソン村西港近くのビーチに面した一等地でダイビングショップ 「セレナ・マリンサービス」を運営してる。

                                                 

・2014年5月5日に亡くなられました。


オーシャンスイムレース終了直後の山本さん
山本隆

日本の商社を退職されて、北マリアナの「リタイヤメント・ビザ制度」を利用して、 98年にロタ・ソンソン村入り口付近の海が見える高台に真っ白な家を建て、ご夫婦でロタに移住された。

趣味の釣りや水泳を楽しみながら悠々自適の生活を送られているその庭にはパパイヤや椰子などの トロピカルフルーツやトマトやネギなどの野菜が植えてあり、南の島の生活を満喫されている。

水泳が得意で、ロタブルー・オーシャンスイムやトライアスロンのスイム部門に参加される。 KFCの信頼できる仲間の一人である。

                               

事ある毎に、ロタ島の最新情報を送ってもらっている。

                               

2014年にロタの家を処分して、日本へ引き揚げられました。


林久美

ダイビングショップ「セレナ」オーナー林さんの奥さん。 トライアスロン大会の時は、海には出ないが、いつも裏方でサポートをしてくれる心強いサポーターである。 二人の腕白坊主の母親。


サイパン島の仲間たち
上院議長室にて
ポール・マングローニャ(北マリアナ連邦上院議会議長)

ロタ島出身の政治家。現在はサイパン島を拠点に活躍しており、KFCのよき理解者の一人である。 サイパン島で政治力が必要な時は、彼の力を借りることがある。

実家であるロタ島では広大な農園を持っており、 その農場の一角を使って、2001年に「野口五郎と三井ゆりの結婚式」が行われた。

また、ロタブルートライアスロンの時は、ランのエイドステーションを設置して選手の応援をしてくれる。 前ロタ市長ベンジャミンの甥。


観光局のクリス
クリス・コンセプション(マリアナ政府観光局長)

2016年3月末から新しくマリアナ政府観光局長に就任する。

それまではデルタ航空のサイパン支社マネジャーをしていた。グローバル企業であるデルタ航空に長年勤務していた だけあって、これまでの観光局長と違って鋭い国際感覚を持っている。特に日本についての情報は豊富。年齢的は若いが、頭は切れ、決断も早い。よって、話が早いのがいい。

      

メールでのやり取りは就任直後から行っていたが、初めて会ったのは就任から4か月後の7月に入ってから。でも、 KFCや大西に関することは、観光局スタッフを始め、島内の多くの人から多々聞いているということで、すぐに打ち解けあうことができた。

非常に頑張って観光局の仕事に取り組んでいるという印象を受けた。


観光局長室で執務中のペリー
ペリー・テノリオ(前マリアナ政府観光局長)

ペリーと初めて出会ったのは94年、その当時はまだサイパン観光局の平職員であったが、98年から                                 観光局長のポストに就いた。それから01年退陣するまで、KFCイベントの良き理解者であった。                                 その後、兄弟で会社を経営するも、よき友人としてその付合いは続いている。 サイパンでも1〜2を争う大きなファミリーの出身であるため、BBQ作りは苦手、外食好きである。

2006年7月21日に、再度マリアナ政府観光局の局長に選出され、2006年8月7日から就任し、 2010年現在も観光局長として活躍している。

      

・最初の観光局長の時代は2001年に9・11ニューヨーク同時テロが起こり、観光客が激減した。 そして、第2次観光局長の時代は、日本航空の撤退で日本人観光客が激減した。 オレは運が悪いとボヤいている。

彼が言うとおり、彼は運が悪い男のようだ。彼の所為ではないが、2010年もマリアナの観光産業は下降を続けている。


ロタで
マーチン・デュエナス(マリアナ政府観光局)

マリアナ政府観光局では局長に次ぐ、ナンバー2の地位にある。 観光局でも勤務年数は長く、我々が知っているだけでも20年にはなる。観光局では最も古参。

                                

かつては我々KFCとマーチンとはそれほど仲が良い訳ではなかった。しかし、今ではお互いを理化し合えて、非常に仲が良い。 観光局職員でありながら、我々を強力にサポートしてくれる。重要なKFC組の一人と言っても過言でなない。

エドの直属の上司に当たる。


エド・デュアス

マリアナ政府観光局職員。 サイパン観光局では有能な男だ。一を言えば八を理解することができる。十はちょっと、無理かな。

他のイベントでの評価はイマイチだが、KFCイベントではいつもよく働いてる 視力が非常によく、遠くからでもゼッケン番号を読み取ることができ、タイム計測には欠かせない奴だ。 ちなみに、ローカルたちは3.0や4.0の視力を持つものはゴロゴロいる。 これは砂漠の民が視力がよいのと同じ理由で海の民も視力はよい。

背が高く、サイパンではナンバーワンのバスケット選手なのである。しかし、水泳はできない。

2002年に観光局を辞めて、2003年からサイパン国際空港内にあるJALで働いていたが、 2004年12月頃からマリアナ観光局に再就職した。ポジションは以前と同じ。

観光局職員でありながらチームKFCを密かに自認している。KFCイベントでは率先してよく働く。


サイパンのコーヒーショップ「コーヒーケア」にて
ビル・サコビッチ

元サイパン・スイム・クラブのコーチであり、代表者でもあった。 また、タガインクの一員としてタガマン・トライアスロン大会の運営に20年間かかわっている。 現在のサイパン島のスポーツ発展にとって、ビルの功績は非常に大きいものがる。

また、ビル自身もグッドスイマーであり、トライアスリートでもある。 ちなみに、トライアスロン・デビューは第2回テニアン・トライアスロン大会である。

2002年、60歳を機に第一線を引退し、ハワイ移住を計画している。しかし、現在の家が売れるまでは 資金面で移住はできない。彼がいなくなるとサイパン島のスポーツイベントへのダメージは大きいものがある。

・2004年5月31日付けでハワイ州ハワイ島に移住した。ビルが去ったサイパンのスポーツ・エベント は元気がなくなったように思える。しかし、タガマン大会開催の時は、サイパンに戻って来ている。


いつもスマイルのパクさん、信頼できる。
パク・タエ・ウン(通称ウィリー・パクさん)

サイパン在住の韓国人で韓国「ロッテ・ホテル」や日本の「帝国ホテル」で修行を積んだバリバリのホテルマン。 親日派の韓国人で日本語も話せ、サイパンでの信頼できる友人の一人である。韓国コミュニティ-の重鎮である。

韓国文化や韓国料理などについて多くのことを教えてくれる。ちなみに、パクさんと行く韓国料理店は 美味い! 韓国料理は韓国人と、チャモロ料理はチャモロ人と、一緒に喰わなければ上手い料理がが判らない。

20年ほど前からの友人で、当時は「スタンフォートホテル」、その数年後は「サイパン・リビエラホテル」のジェネラル・マネージャーをしていた。 ホテル業界では「ジェントルマン・パク」と呼ばれている。姿勢はいいが、脚は短い

・2007年から、サイパン・ワールド・リゾートで客室マネージャーとして働いている。

・2014年ワールド・リゾートを退社、コーラル・オーシャン・ポイント・ホテル(COP)でゼネラル・マネージャーをしている。


ダチョーのような顔。テニアントライアスロンでボランティアとして働くスチュー。
スチュアート・スミス

94年の第1回ロタブルー・トライアスロン大会がトライアスロン初デビュー、 その後、トライアスロン中心の生活を送り、メキメキ実力を付け、オロロン大会で優勝するまでになった。

       

米国コロラド州生まれ、91〜93年まで、富士吉田市中学校に英語の教師として来日して以来、親日派に なる。その後、サイパンに移住し、94年にロタで初めてKFCと出会う。最初は、変な日本語をしゃべる ちょっと変な外人と思っていた。

本職は会計士で、米国では弁護士などよりずっとステータスが高く、高収入な職業だ。 しかし、その職を捨て、九州で英語学校の安月給の教師をしながら、日本語を勉強し、トライアスロン大会に 参加する生活を送っていた。

しかし、02年末、突然ニュージーランドに移住したいと連絡があり、ニュージーランドに渡った。 が、また日本に戻って来るかもしれないと話していた。 そして、2004年8月以降、ニュージーランドを引き払い日本に住んでいる。

・2006年4月に、再度サイパンに移住した。その後、サイパンを引き払い、2009年はグアムに 住んでいる。

・2013年現在、中国の昆明に住んでいる。中国語を勉強しているという。衛生面はイマイチだが、 中国生活は楽しいという。


エド・ジュアスの後釜
フランク・ツデラ

エド・デュアスの上司、マリアナ政府観光局の職員。2003年9月までは、観光局のグリーンTシャツ部 に所属していた。グリーンTシャツ部とは草を刈ったりする屋外作業が中心の部門。今はマーケティング部門に 所属しており、KFCスポーツイベントでは非常によく働いてくれる。しかし、エド同様、他のイベントでは 評価は低い。

性格は非常に素直な、明るいいい奴である。我々の好みのタイプのチャモロ人だ。 サイパン観光局の中ではKFC派の一人だ。

彼の弱点は物忘れがひどいこと、何度も同じことを言わなくてはならない。 また、一度に多くのことを指示すると混乱する。大切なことは部下のエドに伝えることにしている。

しかし、何故か、スピーチは上手い。才能だ。だから、イベントではMC(おしゃべり)をさせることにして いる。「人は適材適所へ」がKFCのモットーだ。

・2013年10月に観光局を退職しました。


レースの朝、最終登録中のニッキー
ウォルター・ニコル(通称ニッキー)

ニッキーとの付き合いも古く、94年のロタトライアスロン大会からである。 その当時は、サイパンにあるラウラウベイゴルフクラブに勤めていた。 その後、サイパンで所ジョージ経営の「ソルト&ペッパー」というレストランのマネージャーをやったり、 グアムの「サンタフェ」ホテルのマネージャーをしたりしていた。

その後、日本に暫くいて、ニュージーランド、タイを放浪?さて次は・・・?

祖父が日本の米国大使館の上級職員だったため、子供の頃から日本での生活が長く、親日派で、 日本語は非常に堪能である。

・2008年はサイパンにいた。三浦和義騒動の時は、日本からのマスコミの世話を一手に引き受けていた。 自分の家は持たずに知人や友人の家を転々として暮らしていけるのは、誰も真似ができないニッキーの才能 である。


タガマン大会運営中の松村さん
松村洋一(パシフィック・デベロップメント・インクの社長)

北マリアナ諸島全域でのホテルの手配やオプショナル・ツアーを取り扱っている会社。 近畿日本ツーリスの現地法人。通称PDIと呼ばれている。

サイパン在住約25年以上で、現地在住日本人では最もサイパンを愛し、サイパン・コミュニティに溶け込み、 彼らと精通している。この点は我々KFCと非常によく似ている。

また、タガマン・トライアスロン大会を最初に立ち上げたメンバーの一人でもあり、 スポーツイベントに対する理解や情熱も我々KFCに共通したものがある。

KFCイベント開催の時は、計測ボランティアなど、いつも多大なサポートをしてもらっている。 信頼できる仲間の一人である。サイパンには欠かせない一人である。

・2012年2月、日本へ引上げられた。


お茶目なイチロー!
白田一郎(ターシー・マネージャー)

1995年当時のロタ・パウパウホテルに勤めていた頃からの古い友人。99年3月にパウパウホテルが閉鎖 された後、サイパンのJTB系列の現地法人でバスの手配を取り仕切っているTASI(ターシーとは現地の 言葉で「海」という意味)に転職して、今に至る。

95年第2回ロタブルー・トライアスロンの時からの付き合いで、スポーツイベントに対する理解や情熱は 共通したものがある。 かつて、よくパウパウホテルのプールサイドのカウンターバーで仕事が終わった後、満天の星空の下、夜遅くまで、 コーヒーやビールを飲みながら語り合ったものだ。

学生時代は米国の大学に留学した経験を持ち、英語に関しては、法律書や専門書の読み書きもバッチリ OKという実力を持つ。

・2010年、日本へ引上げられた。


テニアン島の仲間たち
執務室にて
J. P サンニコラス(テニアン島市長)

2014年11月の選挙で、前市長のレーモンに勝って、2015年1月15日から正式にテニアン島メイヤー(市長) に就任する。過去のテニアン島市長の中では最も若い市長。

元々、テニアン生まれの弁護士である。

弁護士の割には、人柄はよく、誰に聞いても「いい奴」と口をそろえて言う。これほど多くの人に「いい奴」と 言わしめるローカルは、他には知らない。マリアナでは弁護士は人に 嫌われているのが一般的なのだが・・。


執務室にて。机上の国旗がカッコいい!
レーモン・デラクルス(前テニアン島市長)

テニアン・ダイナスティ・ホテルとの関係が深い、というより、ポーカーゲームとゴルフが趣味。 北マリアナ連邦上院議員の経験を持ち、次期テニアン市長の最有力候補だった。02年の第3回大会から KFCイベントの現地大会事務局長を努めるようになった。

それ以来、ローカルのパーティに招待してくれるようになり、テニアン島でのKFCのBBQ所の一つに なった。 デブの多いチャモロ人の中ではとてもスリムな体型をしており、いつもカーボーイハットを被っている。 ちょっとお洒落なチャモロ人である。頭の回転は速いが、早口でしゃべるのが癖。

彼の欠点は「ファック・ユー」「マザー・ファッカー」「ランニャ」だどの使ってはいけない言葉の トップ3がオンパレードがバンバン飛び出すことである。

・昨年末の総選挙で彼の属する政党が敗れたため、現在(2006年)は、 市役所を退職して自分のファーム(農場)で働いている。

・2009年11月の選挙に勝って、2010年1月から念願の市長(メイヤー)の座に就いた。忙しいが、毎日が充実しており、 市長の仕事は楽しいと言う。今、テニアン島の置かれている財政状態はいつになく厳しい。頑張って好転させて欲しいものだ。


彼のレストラン「ケリダス」にて
アイク・クィチョチョ(テニアン市役所の上級職員)

市長を補佐する実力者、3期前のテニアン市長を務めてたこともある。 役所内の仕事は彼がほとんどハンドリングしている。市長が不在の時は彼がテニアン行政を仕切っている。

家業はレストラン「ケリダス」のオーナーである。 性格は非常に温厚で、人当たりが非常に良い。

2006年からの新市長ジョー・サンニコラスがフィリピンの病院に入院していたため、 第7回ターコイズブルー・トライアスロン&リーフスイム大会の現地責任者はアイクが務めてくれた。

テニアンを訪れる毎にケリダスの美味しいバーベキューをご馳走してくれる。そして、テニアン成長は KFCのイベントには全面的に協力するからね、といつも嬉しいことを言ってくれる。


モントレイル青梅高水山トレイルランの帽子が良く似合う
ジョー・クルズ(テニアン市役所の上級職員)

アイクの部下で現場派人間である。2006年のターコイズブルー・トライアスロン&リーフスイムの現地 事務局長をやってくれた。

普段の主な仕事場はテニアン島南部のカロリナス台地を切り開き、観光資源化にすること。 ほとんど毎日、部下と共にジャングルの中で遺跡を探したり、動物などを捕らえて飼育したりしている。 その甲斐あって、今までただのジャングルだったカロリナス台地に道路ができ、展望台ができ、 野生動物の飼育施設も兼ねた自然動物公園「カシティス」ができ、見違えるようになった。

また、このジョーは根っからの「テニアン・ボーイ」で産まれも育ちもテニアン、 だから、テニアンのことは、ジャングルの奥まで、海の中まで、非常に良く知っているという。

こんなことも教えてくれた。何時にどこへ行けば、 海亀を必ず見ることができる と教えてくれた。 その通り、行ってみると、海底からポコポコ海亀が呼吸するために海面に上がってくるのである。 念のため、3日間続けて、彼の指定する時間帯に行ってみたが、すべてビンゴであった。 これにはビックリである。これは立派なテニアンの観光資源に成り得る。

・2008年からダイナスティ・ホテルの正面ゲートの前で、バーベキューテラス方式のレストラン事業 の準備を始めている。上手くいってもらいたいものだ

・バーベキュー商売は止め、2012年からメイヤーズ・オフィースで働いている。


市長執務室にて
フランシスコ・ボーハ(前々テニアン島市長)

ロタ市長と同様にテニアン島でも市長は強大な権限を持っている。 ロタ市長はスピーチ好きの社交的な性格であるのに対し、前テニアン市長ボーハは非常にシャイで、 政治家なのに余り人前にでることを好まなかった。

スピーチに関しても、前もってしっかりと演説原稿を作って来るなど、ロタ市長にはない真面目な 性格の持ち主であった。テニアンでトライスロン&スイム大会が開催できたのも彼の協力に負うところ が大きい。

02年のトライアスロンのスイムスタートのホーンを鳴らす時、指がボタンに触れてしまい、 2分早くスタートホーンを鳴らしてしまい、大きい身体をして、非常に慌てうろたえていたのが可愛かった。

また、毎日夕方には息子と二人でダイナスティのスポーツジムで汗を流しているスポーツ好きの市長である。 スポーツ好きだが、身体はよく太ってデカい。

・8年間務めた市長職を2006年1月に引退した。今なお、テニアンでは実力者だ。


トム・リュー(テニアン・ダイナスティ・ホテル・カジノのゼネラル・マネージャー)

ダイナスティ・ホテルの開業時期からゼネラル・マネージャー(GM)を務めている。しかし、その頃は マーケティングのマネージャーがイベント物の世話を担当していたので、トムと我々KFCとの接点はほとんどなかった。

しかし、16年が経ち、9・11テロやサブプライム等々で景気が低迷し、テニアンの環境が変わり、それにつれて、 ホテルのスタッフや客筋もほとんど全てが変わってしまった。

それでも変わっていないのは、トムと我々KFCだけ、それにある時気が付いたようだ。そして、 いつの間にかトムと我々との間には信頼感が芽生えた。今では非常に協力的で良い関係にある。

彼はグリーンカードを持っている中国人です。記憶力は抜群で、数字にもめっぽう強い。 カジノホテルのGMを長く務めている理由はこの辺にあるのだろう。


恥ずかしそうに写真を撮らせるエレン
エレーン・イケハラ(テニアン観光局の前ボス)

女性でありながらテニアン観光局のおじさんスタッフたち(何故か「ボーイズ」と呼ぶ)をまとめていた。 強くて、テキパキしており、気前のよい肝っ玉母ちゃん的存在であった。力仕事では男性に敵わないが、 よく気が回り大会の時には的確に動く。性格はとてもシャイなおばちゃんである。

計測も手伝いチャモロ人特有の驚異の超視力をフル活用して遠くからのゼッケン番号の読み取りには欠か せない存在。

・2006年初めに退職し、普通のおばちゃんに戻った。


テニアンで使える男カブレラ、海上警察より役に立つ
エディ・カブレラ

テニアンでNO.1スキン・ダイバーと自他共に認める男。 2004年にスイムコースにブイの根ッコになる約150kgの重さのセメント塊を10個沈める作業をした。 この時、大活躍したのがこの男である。素潜りで約20mの海底まで潜り、 根ッコとなるセメント塊にロープを結わえてボートに戻って来るのである。

素潜りで20m潜るだけでもたいへんなのに、海底で作業をするとは!!これはすごい能力である。今後この 男は使えると確信。但し、海面を横に移動、すなわち、水泳は下手クソである。

・2006年に市役所を退職してからは、素潜りの能力を生かし、タガビーチ沖でタコ漁をしたり、亀を捕まえ たりし、小遣い稼ぎをしている。


テニアンで唯一のスイミング・コーチ、子供達を指導している
ジョセフ・サンニコラス

ボーハ政権時代、テニアン島のスポーツ振興セクションのボスだった。特に子供の水泳に力を入れており、 サイパンやグアムまで試合のために子供たちを連れて行ったりしていた。

その所為か、テニアンの子供たちはロタに比べてスイムのレベルは非常に高いものがある。 トライアスロン大会の時は子供たちを束ねて、エイド・ステーションを担当してくれる。 性格はノンビリ、オットリで、気のいい奴である。よく食べる。


父親レーモンと
エバ・デラクルス

レーモン・デラクルズの娘。父レーモンの秘書としてメーヤーズ・オフィースで働いていた。 しかし、オフィスではやることがなくて、それが大の不満。コンピュータに興味があり、 アメリカの大学に入学してコンピューターの勉強をするのが一番の希望。

2004年9月からアメリカの大学に進学した。マイクロソフトの創始者ビル・ゲイツを尊敬している。 平和でノンビリした生活のテニアン島より、エキサイティングな刺激のあるアメリカでの大学生活に憧れている。 父レーモンはエバのアメリカ行きに反対だが・・・・。

2005年にホワイト・ピープル(米国人)と結婚してドイツに住んでいる。 チャモロ人は、アメリカ人を「ホワイト・ピープル」と呼んで、嫌っている人が多い。

アメリカ人嫌いの父親レーモンとしては、大切な娘がホワイト・ピープルと結婚したのが 口惜しくて仕方がない様子だ。


テニアン観光局の事務所にて
ベーダ(テニアン観光局のボス)

ボス・エレーンの部下として、KFCの大会の時はいつもテキパキとよく動いてくれていた。 しかし、エレーンが辞めた後、彼女がボスになった。

大会の日は彼女の子供達を連れて来て、一緒にゴールの計測やゴールテープ持ちの仕事をやってくれる。 また、彼女の夫は、この島の警察官で、米軍の予備役でもある。 アフガニスタンでのアルカイダ掃討作戦の時は米軍の一人として参加した。

性格は、いい人なのだが、ちょっと忙しくなるとすぐにパニックになるので、同時に2つのこと 指示することはできない。また、よく忘れる。サイパン本局のフランク・ツデラとよく似ている。


スイムコースのブイ設営中のジャン
ジャン・キング(テニアン市役所職員)

ボーハ政権時代、テニアンの海上警察(ボーティング・セイフティと呼ぶ)の現場責任者だった。 ポリス専用のゾリアック(ゴムボートに強力な船外機モーターをつけたスピード・ボート。皆は「ゾーリ」と 呼ぶ)の操縦が得意。

気のいい奴で魚を獲るのが大好きで、エディ・カブレラの幼馴染。子供の時は野球チームの一員として、 カブレラと一緒に日本へ遠征試合に行ったことがあると言う。

テニアン大会のスイムコースのブイ打ちには若いポリスを引き連れてボートの操縦を担当してくれた。 彼も視力が非常によく、遠くを泳いでいる海亀をいとも簡単に見つけることができる。

・2006年に警察を辞めてから、漁をしたり、沖の山羊島へ行って山羊を捕まえてきたりして収入 を得ている。また、海の情報には詳しく漁場を熟知している。どこへ行けばマグロが獲れ、どこへ行け ば、シーラが取れるか等など。


グアム島の仲間たち
いつも陽気なマーク
マーク・クルズ

グアムで最も大きな自転車クラブ「ハノンタノン・バイシクル・チーム」のリーダーであり、 現グアム・トライアスロン連盟の会長。「ハノンタノン」とは、現地チャモロ語で「ジャングルの中」という意味である。 グアム生まれ、グアム育ち。 ツール・ド・フランス7連覇のランス・アームストロング憧れ、ランスに因んで、マーク・アームストロング・ クルズと名乗っている。

2000年開催のKFC大会「ロタ島一周・マウンテンバイク・レース」に出場したことをきっかけに 付き合いが始まる。その後、KFCの大会のロタ大会やテニアン大会などにはよく参加している。 元々、マウンテンバイク好きなので、スイムはあまり得意ではなく、トライアスロンのレースはすぐバテる。

いつも騒がしく、生まれつき落ち着きがなく、コメディアンのようで、やることなすことおかしく、 しゃべらないでいることがない。 とても気がよく、人を楽しませることが大好き。アワード・パーティなどでMCをやらせると抜群に上手い。

趣味が多くトライアスロンやバイクやエクステラに関連したスポーツ以外にも、モトクロス、サーフィンetc…。  また、トライアスロン連盟のメンバーとバンドも組んでいる。バンド名は“モジョ”でリードギターと、時には ベースをやっている。タモン地区あるパブで時々ライブをやっている。

因みに、仕事はアプラハーバーにある米海軍基地「ビッグ・ネービー」に務めている。 その関係で、交流が深い日本の海上自衛隊や海上保安庁にも友人が多い。


ダンズカップの会場で
ダン・オキーフ

オーストラリア出身。オーストラリア代表として、2000年シドニー・オリンピックにバタフライで出場、 その当時はあのイアンソープが後輩だったという。実力はソープの方が遥かに上だが・・・。

その後、グアムに移住し、グアム代表として、2004年アテネ・オリンピックにもバタフライの選手として 出場した経験を持つ。 彼の自慢はオリンピックに2度も参加していることである。また、ライフセーバーの資格も持っている。

KFCとの友情関係は、2001年にロタ島で開催したオーシャンスイム大会にダンが参加したことから 始まった。 スイマーとしては、超一流だが、性格は温和でおっとりしている。優柔不断な所が欠点だ。携帯電話をすぐになくす。 そして、なくしたことを誰かに言われるまで、しばらく気がつかない。

現在はタモン地区に在住し、アンダーソン空軍基地etc…でスイムコーチとして、 子供から大人までに、水泳指導をしている。

グアムで行われている、トライアスロン大会、エクステラ大会等では、 スイムパートのレスキュー・スタッフとしてボランティアをしている。 また、5月のココスクロッシングには選手として参加したりもする。

ココス大会での彼の連続優勝も昨年(2006年)で止まってしまった。 最近は急激に力が落ちてきたように思われる。

彼がやっている「ダンズカップ大会」2005年から2008年まで4年間サポートしてきた。


理詰めで物事を考えることができる性格のエリック
エリック・タイティンゴ

元グアム・トライアスロン連盟の会長。現トライアスロン連盟会長マーク・クルズとは子供の頃からの友達である。 マークの誘いで、KFCイベントに参加し始める。

会長とは言っても、選手としては、マークと同じくらいの実力である。 トライアスロンのランではいつもウォークしている。それでも、KFCイベントにはよく出場している。 やはり、バンド“モジョ”の一員で、ベースをやっている。マークと違いあまりヘラヘラしておらず、 まじめな性格で、きちんと物事を考えるタイプ。

小さなローカル大会は過去に何度か開催していたが、 2007年3月に、KFCがサポートして、初となる国際大会「エクステラ・グアム大会」を主催した。 そして、参加するのではなく、大会を運営する側の苦労を初めて知った。

KFCの大会に参加していると、運営も楽しそうに見えたので、自分もやってみたかったそうだ。 外から見るのと違い、実際に自分自身でやってみて、大会運営の苦労が分かったようだ。

2007年のエクステラ大会運営で相当に堪えた様子で、今後も開催するかどうかは思案中と言っていたが、 2008年も開催した。 因みに、仕事はITCビル内に事務所があり、広告代理店のような会社をやっている。

・2008年からKFCと一緒に南部のメリッソ村でオリンピック・タイプのとトライアスロン大会 を始めた。


超セレブなジュード。金持ちぶらない所がいい。
ジュード・ベイカー

カルフォルニア出身、グアム在住14年。グアム・トライアスロン連盟の一員。 流動的なグアム在住のアメリカ軍人を除けば、現在グアム在住の最速アスリートである。

KFCイベントには、よく出場している。お洒落に気を配り、いつもお洒落な事にこだわりをもっている。 因みに、2007年のマイブームはティンガローハットにウエスタンブーツである。 ファッション関係だけでなく、小物やインテリアや立ち居振る舞いにもこだわっている。少しキアヌ・ リーブスに似ている。まあまあのイケメンである。

彼の奥さんの父親がタモン湾にある客室600室を誇る「アウトリガー・ホテル」のオーナーなので、 彼は「アウトリガーホテル」のXX階にあるオーシャンビューのだだっ広いスイート・ペントハウスに 奥さんと子供2人と住んでいる。いわいる、逆タマである。

食事はホテルのレストラン調理室から運ばせている。 超セレブである。もちろん、オーナー一族の一員として、ホテルの経営にも関わっている。

性格はとても優しく、超セレブなのに律儀できちんとしている。我々を見かけると必ず挨拶をし に近寄ってくる。

彼の家にはエアロバイクやランニングマシン完備のマイ・トレーニングルームやマイ・マッサージル ームがある。 それに数台あるバイクの保管部屋やバイクショップさながらのメンテナンスルームまで揃っている。


チャキチャキ娘のエレン
エレーン・クゥオック

香港出身、グアムに移り住んでいた伯父の伝で子供の頃にグアムへ来た。そして、大学もグアム大学を 卒業した。職業は長年看護士をしていたが、2007年4月からパシフィック・アイランド・クラブに務 め始めた。

彼女もグアム・トライアスロン連盟の一員で、KFCイベントへの参加は2000年の 「ロタ一周マウンテンバイク・レース」が最初である。 それ以降は頻繁にKFCの大会に参加している。

超おしゃべりで、話し出すと止まらない。機関銃のように早口でしゃべる。性格はせっかちであるが、 とてもがんばり屋である。 ちょっと「ボーっ」としている男では負けてしまう程勝気である。まるで江戸っ子のようだ。

KFCに刺激を受けて、KFCのサポートで、「イスラ・トライアスロン大会」を主催し、過去3回開催 したが、 残念ながら諸事情により、2006年大会を最後に止めてしまった。

KFC大会に参加して、そこで刺激を受けて、新しい大会を立ち上げた友人たちは多いが、 見るとやるとでは大違いで、大会の開催や継続の難しさを痛感したという。 しばらくは選手で楽しむらしい。

・2008年初めに、待遇の良い中東ドバイに出稼ぎに行くと話していた。不動産バブルを絵に描いたようなところ だから好景気は長くは続かないと伝えたのだが・・。 2008年末に、案の定、弾けてしまった。でもまだ、ドバイから帰っていない。


パラオの仲間たち
サングラスと帽子がよく似合うフランク
フランク・キヨタ(パラオ共和国オリンピック委員会理事長)

パラオ・ナショナル・オリンピック委員会の理事長だ。職業は、第2回大会から“パラオ・シェル・ レインボートライアスロン&オーシャンスイム”の冠スポンサーとなった「シェル石油」のオーナーだ。 マネタリー・サポートをすることでレインボー大会の運営に大きく寄与してくれた。また、オーシャンス イムの時はゴール会場で選手の世話をして場を盛り上げてくれた。

帰国後も一緒にイベントができて良かったと云う旨のお礼メールをくれた。そして、来年も協賛する ので、ぜひ、パラオに来て下さいとも書いてあった。フランクのラストネームはキヨタ(清田)、きっと 祖父や祖母が日本人の清田さんだったのだろう。彼の風貌は元横綱の曙そっくりだ。

パラオ・ナショナル・オリンピック委員会として、2016年の東京オリンピック開催をプッシュして くれるという。


スポーツ・ウーマンのバクライ
バクライ(パラオ共和国オリンピック委員会会長)

彼女は“パラオ・ナショナル・オリンピック委員会”の会長である。パラオチャレンジ大会では 現場仕事はしない。他の政府機関との調整を主にやってくれている。

パラオでは、概して、男性よりも女性の方がよく働くという ことで、どの職場でも要のポストは女性が担っているそうだ。

大会当日は選手としてオーシャンスイムに毎年参加している。趣味はカヌーということで、カヌー・レースに はよく出場しているという。体型からは想像しがたいが、なかなかのスポーツウーマンだ。

2014年からは政府のお偉いさんになっている。日本でいえば、厚生省のみたいな省庁の大臣だ。 パラオでは大臣のポストは選挙で選ばれた政治家ではなく、国の名士が務めるという。任期は4年である。


ジョーに似ているティノ。気は優しいヤツだ。
ティノ

サモア出身。パラオ・トライアスロン協会の前会長。パラオ病院で栄養士として働いている。詳しくは、パラオ でたった一つの病院で、たった一人の栄養士なのである。2001年にサイパン・タガマンにも出場した経験が ある。それを機にロタのジョー・サントスとも親交がある。性格は、どこかジョーに似ている。

トライアスロン以外にもカヌーやアウトリガーやカヤックを自由に乗りこなす。カヌー競技にもよく出場し ているという。パラオではカヌー・レースは人気スポーツだ。またスペア・フィシィング(潜って銛で魚を突く) が好きで、潜水時間は2分間、じっと海底にステイしていれば3分間OKという。

また、アイランドボーイの名に相応しく、木彫りのクラフトなども大好きで、カヌーのオールなど大抵のもの は手作りするという。大会のトロフィーも彼の手作りだ。一日中やっていても飽きないそうだ。職場から80km も離れた辺鄙な場所の山頂に建てた自宅の家も大部分を自分で作ったそうだ。大工だったお父さんの影響が大きそ うだ。

外見は、全盛期のマイク・タイソンのような筋肉質の体、腕と足と首が異常に太い。気は優しくて、力持ちというヤツだ。 魚は食べるが、肉は食べないというベジタリアン。


バイク&ランコースのスペシャリスト
ダーロ

カナダ出身。パラオ・トライアスロン協会の理事。第1回パラオ・レインボー大会は大会委員長(ディレクタ ー)を務めた。彼のファーストネームは何度聞かされても上手く発音できなので、ダーロとかダローとか呼んでい る。性格は真面目で責任感が強い、その反面、融通が聞かないのが欠点だ。アバウトな南の島の暮らしにはストレ スも溜まるだろう。

第1回パラオ・レインボー大会を立ち上げるに当たって、上手くやらねば、という気持ちが強く、わざわざオ ーストラリアまでトライアスロンの大会運営を勉強に行ったくらいだ。バイクやランのコース設営は任せることが できる。

仕事は建設資材レンタル業を経営しているという。趣味はモーターバイクで、バベルダオブ島1周100km のコンパクト道路をツーリングに行くそうだ。時には、自転車でも行くという。

2009年にパラオから出て行ってしまった。


育ちの良さが滲みでているリア
リア

パラオ・トライアスロン協会の副会長。元パラオ政府観光局の職員。第2回大会レインボー大会からコミッティ ーの一員に加わった。スポンサー企業の獲得、パーティ会場のアレンジ、TVや新聞を通して地元への告知などを 担当した。彼女のファミリーが強いこともあり、地元企業や政府関係機関には強いコネクションを持っている。

競技説明会に水族館を使用できたことやアワード・パーティのグレードが大きくアップしたのは彼女のお陰だ。 それに、理解が早く、頭のいい女性だ。集金力のある彼女の存在は大きい。

また、パラオの中では、かなりお洒落である。若い頃はちょこちょことモデルをやっていたりしていたらしい。 まさに、才色兼備である。

2002年頃、パラオ政府観光局職員であったリア・アサクラという名前の彼女とメールのやり取りをしたこと がある。祖父か祖母がが朝倉という日本人だったのだろう。日本人の血が少し入っている。オーシャンスイムの時 は選手として出場していた。

2012年にグアムへ移住してしまった。


ミート・イーターのジョー
ジョー

バクライの夫である。第2回レインボー大会からコミッティーに加わった。職業はパラオで一番優秀な体育の先生と いうことだ。話し振りからして、頭は良さそうだ。机上の理論(計画書)より、現場で融通が利き、頼りになる男だ。

ダーロと共にバイク&ランのコース設営やエイドステーション全般と取り仕切った。各エイドのリーダーを集めて、 水の手渡し方などを上手く説明していた。優れたリーダーシップを発揮していたので、今後、大きな活躍をしてく れると感じられた。

レース後の反省会の席上で、ベジタリアンのティノが肉は食べないと言ったのに対し、「オレはミート・イーターだ。肉しか 食わん。」とツッコミを入れたのが可笑しかった。彼の顔はK1ファイターのマイティ・モーにそっくりだ。 身長は高く、190cmくらいありそうだ。


早朝のスタート会場にて。
中村圀夫大使(在パラオ日本国大使)

2007年12月に在パラオ日本国大使として赴任された。ちょうど、第1回レインボー大会開催の3日前だった。 それでも、第1回大会には早朝から会場にいらして、スターターと務めて下さったり、レース後のアワードパー ティでご挨拶をして頂いたりとたいへん協力して頂いた。

そして、2008年もレインボー大会が安全に運営されるようにパラオ政府へ道路の整備等々いろんな働きかけ をして頂いた。やはり、政府から政府への正規の外交ルートを通しての働きかけは大きい。

第2回大会も早朝からスタート会場へお越し下さったり、アワードパーティでプレゼンターを務めて下さったり、 多大な協力をして頂いた。そして、天皇75歳誕生日の晩餐会にはご招待して頂いた。ここにはパラオ政財界のお 歴々や在パラオ米国大使などが出席されていた。そして、中村大使のオープニング・スピーチで、レインボー大会 のことを話してくださった。

これは、我々日本人とパラオ人とが協力して、パラオで日本人とパラオ人が参加するスポーツイベントを開催 していること、すなわち、スポーツを通しての国際交流を評価して下さってのことだろう。

因みに、中村大使はダイビングのメッカ、パラオに赴任して来られて、趣味でダイビングを始められたそうだ。 「ダイビングは楽しいね〜」と嬉しそうにおっしゃっていた。

2008年に引退され、日本へ帰国された。


    
パラオに惚れ込んでいるシマさん
シマ(Tina Shima))

一言で言うと、パラオにホレこんでしまった・・・日本人。元々ダイバーとして訪れる内に、いつの間にかこ の島に移り住んでしまったという恰好だ。仕事はパラオ・ナショナル・オリンピック委員会に勤めている。パラオ 水泳協会の会長も務めている。

海に囲まれているパラオではあるが、泳ぐということは余りポピュラーでない。パラオにおける水泳教育はシ マさんが一手に担っているのが現状だ。水泳施設はアラカベサン島に屋外25mプールがひとつあるだけだ。この 施設の維持管理もやっている。そして、ほとんど毎夕方からパラオっ子たちにボランティアで水泳を指導している。 日本の雑誌「SWIM」で、パラオで頑張る日本人として、大きく取り上げらたこともある。

2007年から創めたレインボー大会には人一倍情熱を注いでいる。“日本から来たアスリートの為なら労を惜 しまない”というくらいだ。たいへん“気持ち”のある、それいて、頼りになる人だ。また、2008年夏の北京 オリンピックには彼女の教え子の一人が参加した。彼女もパラオ・ナショナル・オリンピック・チームの役員と して参加している。

2012年にオリンピック委員会を退職された。


コンピューター・スペシャリストのトシさん
トシ(Misawa Toshikazu)

シマさんと同じく、パラオにホレこんでしまった日本人。最初はJAICA(国際協力機構)の一員としてパ ラオへやってきた。そして、任務終了後、“やっぱり”パラオに戻って来てしまったというパラオ好き。現在は パラオに一つしかないパラオ病院でコンピューター技師として働いている。

その道のスペシャリストとして、病院のコンピューターに関するすべてを1人で担っている恰好だ。たいへん 重要な仕事でパラオ島民への貢献度は高い。上司&同僚は彼の能力を高く評価していると聞く。文字通りパラオ 病院における“ブレイン”である。

パラオ・レインボー大会においても、タイム計測&集計&資料作りを一手に担い重要な“ブレイン”となって いる。レインボー大会には欠かせないスタッフだ。事ある毎に、日本のKFCへもしっかりした精度の高い資料 をメール転送してくれるので、日本からでもパラオの状況がリアルタイムで把握でき、非常に助かる。頼りにな る仲間だ。


こよなくパラオを愛する菊地さん
菊池正雄

菊地さんはパラオをこよなく愛している日本人の1人だ。現地のオプショナルツアー会社「ロック・アイ ランド・ツアー・カンパニー」を率いている。パラオ在住30年以上で、パラオの生き字引、パラオの事は知 らないことがないと言っても過言ではない。

パラオ・チャレンジ大会を立ち上げるに当たり、下見の時(2007年4月)からずっとたいへん力になっ てもらっている。菊池さんはビジネス・コネクションを生かし、シマさんやトシさんとは異なる面で助けても らっている。大統領や酋長という現地の有力者の協力を仰いだり、ホテルやコンチネンタル航空などへの協力 要請など、さらに、駐パラオ日本国大使館との橋渡しもしてもらった。

パラオは今も酋長の力は絶大で、ある部分では大統領を凌ぐ影響力を持っていという。酋長は世襲制だ。 マリアナ諸島には酋長制は存在しない。)

パラオ・チャレンジ大会の下見で訪れた時は、パラオの主要な4島(コロール島、アラカベサン島、マラカル島、 バベルダオブ島)を隅々まで案内してもらい、さらに、ボートでこれらの島々を取り囲む海も案内してもら った。これでパラオという国が短時間でざっくりと掴めた。それが、その後のパラオ・チャレンジ大会開催に つながったということである。

また、お気に入りの「ロック・アイランド・カフェ」を教えてくれたのも菊地 さんだ。菊池さんがいなければ、パラオでパラオ・チャレンジ大会は生まれなかっただろう。