イベント報告
第1回エクステラ・グアム
1st XTERRA GUAM

2007.3.11開催
■エリックからの依頼
2006年12月2日にグアム島のタモン湾イパオビーチでOWS大会「第2回ダンズ・カップ」を開催した。その会場で、「ロタブルー・トライアスロン」や「テニアン・ターコイズブルー・トライアスロン」にいつも参加している仲間のひとりであるエリック・タイティンゴがグアムで初となる国際大会「エクステラ・グアム大会」を2007年3月11日に開催するので手伝って欲しいと頼んできた。彼はグアム・トライアスロン連盟のリーダーである。

エリックは、インターナショナルな大会開催は初めてだが、以前からローカル大会の「エクスタイザー大会(エクステラと同じ内容の競技、規模は小さい)」は開催していた。それ以外にも、ミニ・トライアスロンやマウンテンバイ・レース?(練習会のようなもの)はやっている。それらの大会では、彼は大会をプロジュースもするが、選手としても参加している。


■グアム到着、天候が悪い!
3月8日(木)グアム島に到着した。曇り空で雨もパラつき、昼間だというのに風も強く、肌寒い。“グアムなのに・・・”“レースの日は大丈夫かな・・・?”いくら頑張っても天候には勝てない。天気はいつも心配の種だ。

グアム国際空港のアメリカ国旗やグアム国旗が半旗になっている。ホテルやその他、国旗を掲げている所はすべて半旗だ。米海軍基地も空軍基地もある軍の島グアムでは、イラク戦争開戦以降、半旗になっている時が多い。“今回の半旗の原因は・・・?”とエリックに聞くと、“先週グアムのチャモロ人の米兵が、3人一緒に戦死して、遺体がグアムに戻された。”と話した。時間は戻せないが、一刻も早く以前のような平和が訪れて欲しいものだ。


■ローカル大会の常
3月9日(金)朝一でエリックと電話で打ち合わせした。「今日は午後3時から招待選手の報道向け記者会見と、午後6時から選手向け説明会と登録がITCビル9階である。」と言った。「じゃあ3時にそこで会おう。ところで説明会の日程や場所は全選手に伝わっているの?」と聞くと、「わからないけど、昨日メールを送ったよ・・」って、“それじゃ伝わっているかどうか分からないじゃん?!”

我々日本人は大切な事はメールでも伝えるが、より確かな郵送も同時に行なう。しかし、こっちの人達は悪気はないが、“メール送ったからそれで伝えたよ。”と思っている。メールに対する信頼度が非常に高い。毎回、大体こんな“ゆる〜い”感じだ。この度はKFC手配の参加ツアーを作らなかったので、日本人の参加者がいつグアムに来て、どこのホテルに泊まっているのか全然わからない。だから、このような緊急の時でも連絡のしようがない。まぁ、こうなったら、その時にグアムに入っていて、居場所の分かった選手を連れて行くしかない。それが南の島のローカル大会の常だ。


■お気に入りのウマタック村訪問
午後3時まで時間があったのでKFC一押しの村である島南部にある静かなウマタック村に行き、メイヤーズオフィスを訪ねることにした。それは前回(12月のダンスカップの時)グアムに来た時に、たまたまバーベキューをご馳走になったので、その時のお礼に日本からお土産を持って来ていた。だから、それを届けるためだ。

ウマタック村はグアム島にマジェランが最初に上陸した地点で、その当時の首都であり、スペイン時代の面影を色濃く残している。静かで落ち着ける美しい村だ。

メイヤーは不在で会えなかったが、メイヤーズ・オフィスで“今夜から日曜日まで、プチ・フィエスタがあるからおいで”と誘われた。

ウマタック村を後にして、昼食はアガニャにある「チャモロ・ビレッジ」へ行った。ここはKFC一押しの昼飯処である。ここには民芸品や雑貨等の小さな店やローカル・フードの食べ物の店も多い。そして、食べ物はとにかく“安く・ボリュームがあり、そしてウマイ!!”のである。だから、ランチの時間帯は地元の人たちでいっぱいになる。その中でも、人気の店は行列ができている。日本人観光客はホテル街から離れているのであまり来ていない。


■プチ記者会見
午後3時になり、PICグアムのコンファレンス・ルームでプチ記者会見が行われた。招待選手は南カルフォルニアから男女2名、スイスから女性2名、フランスから男性1名、イギリスから男女1名ずつ、そして日本からは白戸太朗選手だった。白戸選手はまだ到着していなかったので、そこにはいなかった。どの顔も、“誰が優勝してもおかしくない”オーラを放っていた。その中でも、ITUトライアスロン・ワールドカップ常連オリバー・マルソーのオーラはちょっと違っていた。彼らは皆賞金稼ぎのプロで翌週のサイパン・エクステラにも参加するのである。

“プチ記者会見”といっても、一応ひな壇があり、壇上に長テーブルとイスが置かれ、地元グアム・メディア、ハワイ・アイアンマンの常連ジャーナリスト、イギリスのジャーナリスト等が来ていた。日本からのメディアであるトライアスロン・ジャパン誌の取材陣はまだ到着していなかった。この度は、我々のグアム知識や人脈を生かして、「トライアスロンJAPAN」誌の現地取材のコーディネイトもすることになっていた。


■南の島のゆる〜い競技説明会
夕方、日本から白戸選手、トライアスロン・ジャパン取材陣の播本(カメラマン)さん、選手兼ライターの謝さんが到着した。午後6時になり、みんなでITCビルでの説明会へ出かけた。“あさってレースだから、通常は明日が説明会の日じゃないの・・・”、みんな今日の説明会のことは知らなかったようだ。やっぱり思った通りだ。「説明会は前日じゃないので、スナックだけで、カーボパーティーはしない。」とエリックは言っていた。しかし、バーベキューとポテトフライとスティックサラダとビールが用意されていた。スナックとはいえ、けっこうボリュームがあり、腹一杯になった。部屋の隅っこに、何となく受付があった。説明会はというと、なかなか始まらない。受付をして、立食パーティーのように食べて、しゃべっているだけだ。

雰囲気を見計らって、謝さんと播本さんをエリックに紹介した。謝さんも播本さんも外見はチョモロ人としか見えない風貌をしている。この二人、ローカルからチョモロ人と間違えられることが多々あるくらいである。播本さんは外人に対しては、いつも「マイ・ネーム イズ ハリー」と自己紹介することにしている。この時、傍から間髪を入れず「ダーティ・ハリー!」と突っ込みをいれてやることにしている。この一言で場が和む。


■何とかなるさ、島のレース
部屋の中央にグーグル・アースの衛星写真にコースをマーキングして、プリントアウトしたコース地図が置いてあるが、これでは外国人の我々にはさっぱりわからない。やっと説明会が始まったと思ったら、“ここを泳いで、ここが自転車で、ここをランでゴールです。以上”ってな感じで終わってしまった。ローカル主催の島の大会はいつもこんなもの、別に驚きはしない。それでも何とかなるのである。

播本さんが「写真を撮るのにも、もっときちんとした、せめてレースで使う道が分かる地図はないか?」と聞いた。エリックは「これしかない」と言った。いつものことながら、南の島のレースはアバウトなものである。そんなものだろうと予想はしていた。こうなったら、我々で地図を探しに行こうということになった。夜だったので、閉まっている店が多く、とりあえず大規模スーパー「Kマート」へ行った。しかし、売っていなかったので、“明日、地図を探してコースを見に行こう”という事になった。この日も小雨が降ったり止んだり、曇っていて、風も強く、肌寒かった。


■楽しいデデトの朝市
3月10日(土)この日は少しグアム島の取材も兼ねて、地図探し&コースチェックとみんなで島を回ることにした。

まず、早起きして、デデト村の朝市へ行った。週末に開催され、地元のフルーツ、野菜、魚、バーベキュー、朝ごはん、おやつ、服や靴等、生活用品・・・と様々な店が出店している。食べ物は安くて、おいしい。5ドルも出せば、美味い焼き立てのバーベキューの串肉、フライド・ライス(チャーハン)、野菜、それに飲み物も付く。

中には、不思議な物もあり、店の人との駆け引きも楽しく、都会的なグアムではなく、ローカルチックなグアムを味わえる。

残念なことに、一昔前と比べるとこの朝市の規模(敷地面積も)は10分の1程度に縮小されているのが寂しい。


風は相変わらずやや強めだが、晴れてグアムらしさが戻ってきた。地図を探しにグアムで一番大きい文房具屋と最近オープンした本屋に行った。文房具屋にはアメリカの地図と世界地図はあったが、グアムの地図はなかった。日本では簡単に手に入る種類の物がグアムではなかなか手に入らない。本屋へ行き、道が辛うじて分かる程度の地図があった。でも、まだまだレースで使う道が分かるような代物ではない。この地図でコースを下見してみるしかない。

朝市の近くにある観光地「恋人岬」を少し取材してから、とりあえず、島中部ピティ村にあるスイム会場へ行ってみることにした。


■幸運なコースチェック
翌日に使うテントを張ったり、カラーコーンを配置したり等々準備をしている人がいた。その中にエリックがいた。かろうじて手に入った地図で、エリックにコースを尋ねると、「今ならバイク・ランコースを案内できる時間がある。」と言ってくれた。“ラッキー、これなら確実に分かる”と思い、一緒に行ってもらうことにした。

さすがにエクステラのコースである。“たとえ地図があっても分からないだろうな、と思うようなコースだった。バイクコースはモトクロスやオフロード4WDで使う様な、グアム特有の赤いレンガ粘土の様な路面で、まるで荒野のような、本当にアドベンチャーなコースだ。普通の車ではこのコースには入れない。

急遽、播本さん用にオフロード・バイクとそのライダーを手配してくれることとなった。しかし、外国のレースでは約束していても、当日バイクが現場にきていないことがよくある。播本さんはこういった場面に慣れているので、“手配してもらって、もし明日朝バイク野郎が来ていればラッキー、いなければ自分で歩いて入っていく”と言った。“さすが、場数を踏んだプロのカメラマン”である。プロ・カメラマンという職業は本当に神経を使う。シャター・チャンスは1度しかないらである。播本さんを見ていて感じた。この予想は的中することになる。

ラン・コースはジャングルの中で、アップダウンも激しく、滝や小川の中を走るコースだ。とっても野性味溢れる面白そうなコースだ。これでは余計に天気が気になるところだ。因みに、この小川の水は湧き水のように澄んでおり、非常に綺麗だ。


■ヨシダとの再会
コースを一通りチェックした後、我々は昨日招かれていたウマタック村メイヤーズオフィスのプチ・フィエスタへ行った。今日の昼食はここで食べようと思っていた。行ってみると、フィエスタにもかかわらずローカルが数人いるだけで、他に、客らしき人影はない。

“食べられるのかな・・・??”と思ったら、ポツっとブースから人が出てきた。午後2時を過ぎており、皆腹が相当減っていたので、バーベキューとサラダと山盛りレッドライスのランチボックスを5個注文した。何と、一人前5ドル、安い!それに6ドルのハワイ風お刺身「ポキ」を一つ注文して、みんなで摘むことにした。



そして、いよいよ食べようとすると・・・やっぱりチャモロである・・・他に客がいなかったからかも知れないが、そこからは熱烈歓迎が始まり、注文もしていないのに、ビールやジュースはどんどん持ってきてくれる。それらは“全部フリー(ただ)”と言う。買ったもの以外にも「これも食べて!」「フリー、フリー、フリー」と連呼して持ってどんどん来てくれる。やはり、チャモロ・ホスピタリティはいい。

その時、ひとりのチャモロ人がこっちに向かって歩いてきた。「あっ、ヨシダ!」。

実は昨年12月に出会った“チャモロ人ヨシダ”には、この度会おうと思っていたが、連絡がつかないでいた。“会えてよかった。”ヨシダも嬉しそうだった。ヨシダも交えて、楽しいランチになった。午前中に釣ってきたキハダマグロの刺身は新鮮で美味かった。一人6ドルで美味いものを食べて、飲んで、腹一杯になった。ウマタック村はKFCお気に入りの村になった。


■スーパーリッチなジュード
昨夜のITCビルの説明会場で友人ジュード・ベイカーから彼の家のホームパーティに誘われていた。そして、自分の家は「アウトリガー・ホテル」の×××室と言った。その時は、単にジュ―ドは「アウトリガー・ホテル」に泊まっているのかとぐらいにしか思っていなかった。

ジュードはグアム・トライアスロン連盟のメンバーでもあり、グアム在住14年になる。2000年頃からKFCイベントに頻繁に参加しているKFCファンの一人である。どこで出会っても挨拶しに寄ってきてくれる礼儀正しい好青年だ。少しだけハリウッドスターのキアヌ・リーブスに似ていて、いつもおしゃれにこだわっている奴だ。

そして、彼に告げられた部屋を訪ねて行くと、どうも普通のホテルの部屋とは明らかに雰囲気が違う??。しかも、最上階の海に面した側にある。他の部屋のドアとは違うその木造のドア(玄関)を入ると、広い、広すぎる!そして、眼下にタモン湾が一望できるのである。何と彼の家は「アウトリガー・ホテル」の最上階である21階のスイート・ペントハウスであった。彼の奥さんの父親が同ホテルのオーナーである。だから今は、彼もオーナー一族のメンバーなのである。次元は違うが、何のことはない“マスオさん”なのである。

「アウトリガー・ホテル」はタモン湾ビーチ沿いに建つ客室数600室を誇る超一流ホテルである。これにはビックリ、超驚いた。長年ジュードとは付き合っているが、彼がこんな大金持ちのセレブな奴とは夢にも思っていなかった。

KFC自身はとても貧乏チームなのに、知り合いはこんなセレブな奴が意外と多い。我々の他にも30〜40人ほどの選手や関係者が集まっていた。そんなセレブな家で選手たちもみんなワイワイとセレブなカーボ・パーティーが行われた。パーティ用のご馳走は階下のレストラン・キッチンからボーイが運んで来るのである。何と羨ましいことか。普段の食事もほとんどホテルのレストランから運ばせるそうだ。


■弱気なエリック
食後、一息ついたところで、謝さんがエリックに取材のインタビューを始めた。「準備から、いよいよ前日という今現在の心境は?」の問いに「ロタやテニアンの大会に選手として参加して、また、グアムで小さい練習会のようなレースは作っていたが、インターナショナルな大会は初めてで、こんなにやることがたくさんあって、食事や睡眠時間もなく、こんなに大変なことだとは思わなかった・・・。今回、自分でやってみて、大西さんの苦労が身にしみて分かった・・・。今はとにかく、明日無事にレースが終わることを、ただただ願うだけ。来年に関しては、今の気持ちとしては、二度とやりたくない・・・。」と弱気なエリック。かなりブルーが入っている。


■いよいよレース当日
3月11日(日)いよいよレース当日、薄暗い早朝なのではっきりとは分からないが、昨日ほど晴れていないようだ。せめて、雨だけでも降らなきゃいいが・・。風もつよ過ぎるのはバイクには大敵である。

ナンバリングをしたところで、雨が激しく降ってきた。スイムコースにはブイがあるんだか、ないんだか・・・大丈夫かな・・。雨が止んで、ブイがあることが辛うじて分かる。リーフ内なので波はなく穏やかだ。透明度も良く、水も綺麗だ。





但し、写真にはもう少し明るさがほしい。スイムがスタートし、その後、みんな順調にバイクに移っていった。我々はスイム風景を10分ほど撮影して、直に車で播本さんを乗せてバイクコースの赤土のメインステージに車を飛ばした。早目に着いてよい写真ポイントで選手を待つ作戦だった。レース中は播本さんが仕事をしやすいように播本さんの助手に徹することにしていた。

播本さんの読み通り、オフロード・バイク野郎は来ていなかった。





■どうなってんだ?
歩いて赤土の荒野のようなコースに入り、昨日エリックに聞いていたコース上でトップが現われるのを待った。そこへ一台のピックアップトラックがやって来た。車中から「コースはここじゃないよ、選手が来るところへ一緒に行こう」と叫んでいる。我々は一瞬頭の中が真っ白に。“コースじゃないって?・・・レース・ディレクターのエリックがここだと言っていたのに・・・いったい何故・・・?”と、ここで言っていてももしょうがない。これが島のゆる〜いレースなのだ。





■さすが、プロフェッショナル・ハリー!
レースは刻々と進んでいる。急がないとトップ選手は通過してしまう。ピックアップトラックの荷台に乗せてもらい、現場へ急いだ。運転席を見ると、“来るはずだった”バイク野郎がいる。声を掛けてくれたのは“イギリス人の多分ハワイから来た”ジャーナリストだった。播本さん曰く、「あのジャーナリストはハワイ・アイアンマンにもよく来ていた。」さすが播本さん、プロ同士、播本さんの顔で助かった」。車を降りて、モトクロス場の様な急坂を駆け上がり、何とかトップグループの選手達に間に合った。しかし、優勝候補オリビエ・マルソーは通過した後だった。“雨は降っていないが、あぁ〜青空が欲しい”



バイク野郎とジャーナリストのコンビと別れ、もう一ヶ所バイクの写真をおさえようと決めていた場所に車を飛ばした。しかし、やっぱり、間に合わなかった。トライアスロンと違って、オフロードのエクステラはカメラマン泣かせだ。

このままではトップ選手のラン・シーンが押さえられなくなるので、そのポイントは諦めて、ラン・コースへと車を飛ばした。

ランの終盤の竹林ジャングルの小川の中で待機した。到着後、1分後くらいでラン・トップのオリビエ・マルソー選手が来た。押さえることができた。“ギリギリセーフ”だ。


川底で足場はとても悪いが、播本さんはどんどん奥へ、小川の中をジャブジャブ遡っていく。続いて、女子トップのジュリー・ディベンス(UK)が来た。

その時、その迫力に“ズルッ”と滑って川の中へ尻餅をつく播本さん。ジュリーも“くすっ”と笑い、「大丈夫か?」と声を掛けて走り去っていった。それでも素早く体勢をたてなおし、写真を撮り続けるハリー。“さすがプロ中のプロ”

このジュリーはメチャメチャ速い。この大会に次いで、翌週のエクステラ・サイパン大会でも優勝している。さらに、翌々週のタガマンではスイムをトップで上がり、ラン中盤まで松丸選手の前を走っていたくらいである。結局、松丸選手に次いで総合3位(女子トップ)でフィニッシュした。松丸選手曰く「あれは女じゃない、男だ。」

順番は逆になるが、次にランのスタート付近へ移動した。この辺りは、上りのダートがずっと続く。滝も近くにあり、さっきまでいた竹林ジャングルとは植生の違うジャングルが近くにある。ここでも、写真を撮り続ける。ロウ・アングルで撮ろうとして中腰になった、その瞬間、危うく尻に木の枝がピンポイントで刺さるところだった。危険を察したのか?一瞬、飛び上がったハリー。本当に野性味溢れるコースである。多くの選手はレース後「ラン・コースが一番楽しくて良かった」と話していた。

その後、フィニッシュ地点へ移動した。続々と選手がゴールする。やっとグアムらしい青空になってきた。レース中、雨は降らなかったが、天気にはあまり恵まれなかった。ゴール・アナウンスでも言っているが、夜はアワード・パーティーがあるらしい。


■最初から最後までゆる〜い・・・
実はこのアワード・パーティー、当初は“ない”と言っていたが、やっぱりあるらしい。これまた“ゆる〜い”感じだ。でも、場所がはっきりしない。場所を聞くと、ある人は“ジョニー”またある人は“ジョニー・ディー”、“サンセット・ビーチバー”、“サンセット・バーベキュー”etc・・・みんな言うことが違う。


■やぱっりすごいジュードの家!
“まぁアワード・パーティの前に、昨夜行ったジュードの家で、ジュードの単独取材をするので、その時に場所を聞こう・・・”。と云うのは、急遽、セレブなジュードをTJ誌の「〜その素敵なトライアスロンライフ〜THE STYLE」で取上げることにしたのである。これぞ、正しく「素敵なライフ」である。

約束していた午後2時にジュードの家へ行った。昼間見ると改めて、やっぱりこの家はすごい!!

昨夜はパーティーで人が大勢いたリビングの一角で子供がベビーシッターと遊んでいた。昨夜は見なかった上の階には、バイクショップさながらのメンテナンスルーム、バイク専用部屋、マイ・トレーニングルーム、もちろんランニングマシーンやエアロバイクもある。そして屋外練習やパーティーにも使えるルーフ(屋上)、マイ・マッサージルームetc・・・。


取材を滞りなくすませた頃、奥さんのドナと4ヶ月の子供がお昼寝を終えて、また別の部屋から出てきた。

ドナも以前からKFC大会の常連の一人である。彼女も今日のエクステラに参加した。出産後初レースである。

帰り際に、アワード・パーティの場所も時間も聞いた。これでひと安心、正しい場所は“ジョニー・ディー・サンセット・バー&グリル”だった。






■盛上がったアワード・パーティ
午後6時になり、アワード・パーティー会場へ出かけた。アガニャ湾に面した目の前がビーチという理想的なビーチバーだった。ビールやアルコール類はバーカウンターで各自買うというスタイル。バーベキュー・チキンとスペアリブ、レッドライス、パンシット(炒めビーフン)、サラダ、パン、フルーツ、そして、アイスティーと水はフリーというブッフェ(バイキング)スタイルだった。

表彰式が終わり、最後はチャモロ・ダンサーによるアイランド・ダンスとファイヤー・ダンスも用意されていた。北マリアナ諸島やグアムで見られるダンサーには等級があり、今回はかなり等級の上のダンサー達だった。


昨夜エリックに、レースの前日時点での“今の気持ち”を謝さんがインタビューしていた。そして、“レース後に同じ質問をするよ”と伝えていた。そして、アワード・パーティーもいよいよお開きになり、謝さんがエリックに尋ねた。エリック曰く、「大きな事故もなく、レースもパーティーも無事終わって、みんな楽しんでもらえたようで、ホッとしている。これで、ゆっくり眠れる。来年は・・・う〜ん、また、やってみようかな・・・」。エリックは貴重な経験を積んだ。来年が楽しみだ。





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