イベント報告
実録「Hunt for Abu !」
アブを捕まえろ!
今だから話せる本当にあった話
■東京都青梅市

2002年3月中頃、サイパン在住の米国人弁護士で、 トライアスロン仲間でもあるジョシュアから 「4月7日開催の第4回青梅丘陵高水山岳マラソン大会 (現Lafuma青梅高水山トレイルラン大会)に アブを連れて行きたいので、アブの日本入国ビザ取得に協力して欲しい。」と大西へ連絡が入った。 アブはKFCトライアスロンクラブ(以後KFCと称す)・ロタ支部のメンバーとして、 長年、一緒にスポーツをやってきた仲間であった。

しかし、「アブはお金がないだろうから、物価の高い日本には来ない方がよい。」と返事をした。 アブは北マリアナ諸島(主にサイパン島、ロタ島、テニアン島を指す。以後、マリアナと称す)の人間ではなく、 時給3ドル5セントの出稼ぎ外国人労働者の立場にあった。 だから、それを考慮してのことである。 すると、ジョシュアは「ちょうど今、アブは賃金支払い請求訴訟の裁判に勝って、5000ドル持っているから、 日本に行けるくらいの金はある。」と言ってきた。 ジョシュアによると、以前に勤めていた会社がアブに賃金支払いを長らく滞納していたと言うのである。

その翌日、アブ本人からも電話で「よい機会だから、どうしても日本に行ってみたい。 ぜひ、協力して欲しい。旅費もあるからお金の心配は要らない。」と連絡してきた。 その話し振りに懸命さが感じられたので、アブのために一肌脱ぐことにした。 この判断が、その後たいへんな事件を引き起こすことになるとは夢にも思っていなかったのである。

霞ヶ関の外務省と連絡を取り、外務省の出先機関である在サイパン駐在官事務所(在グアム領事館の出先機関)に アブの日本入国ビザ発給をお願いした。アブはロタに出稼ぎに来ているバングラデシュ人、 すなわち、イスラム教国家バングラデシュ国籍である。 だから、マリアナの人々のように米国パスポートは持っていない。 そして、日本はバングラデシュ人の観光目的での日本入国を許可していない。 しかし、日頃、KFCのマリアナでの活動を評価して頂き、KFC代表の大西がアブの後見人として、 責任を持つならば、特別にアブの日本入国許可を出すという回答がもらえた。

その責任とは、日本入国したアブを目的が済み次第、すなわち、大会が終われば、 直ちに、サイパンに戻すということを意味している。 もちろん、口頭だけでなく、必要な書類を揃えて在サイパン駐在官事務所に送った。 そして、ジョシュアとアブにも入国許可に対する条件を伝えた。 その条件とは4月4日入国の8日出国の4泊5日の日本滞在である。

4月4日(木)

夕方、アブとジョシュアがノースウエスト(NW)75便で、成田空港に到着した。 そして、入国検査でアブが入国目的を青梅丘陵高水山岳マラソン大会への参加と告げるところを間違えて、 青梅マラソン大会参加と告げてしまったのである。だから、別室で取調べを受ける羽目になった。 なぜなら、青梅マラソンは2月にすでに終了していたからである。 夜8時過ぎ、成田の出入国管理局から大西にアブの入国理由について尋ねる電話が入った。 大西がその経緯を説明して、無事入国を果たせた。 その日はジョシュアとアブは一緒に成田空港近くの「ラディソン・ホテル」に泊まった。 何故か、マリアナの人たちはこのホテルをよく利用する。

4月5日(金)

夕方、マリアナからの2人は青梅駅へ到着した。 できるだけアブにお金を遣わせないようにと、 予め手配しておいた地元青梅の山間にある純日本様式の民宿「やまじょう」に連れて行く。 もちろん、民宿の費用はKFC持ちである。

4月6日(土)

アブは民宿「やまじょう」近くにある公衆電話ボックスから、 過去ロタでスポーツ大会を通して知り合った名古屋のスイマーのFさん、 大阪のスイマーのYさん、Kさんご夫婦、青梅のランナーのSさんたちに電話を入れたのである。 また、この時、本国バングラデシュや成田に住むバングラデシュの同胞にも電話を入れていたのである。 この時点で、アブが頻繁に電話をしていることなど、ジョシュアは全く気に留めなかったのである 。この電話が後ほど重大な意味を持ってくることになるとは知らずに。

4月7日(日)

第4回青梅丘陵高水山岳マラソン大会に参加する。 スタート前に、地元青梅に住むSがアブを応援するために会場にやってきた。 Sはマラソン・ランナーであり、4ヶ月前にロタで開催されたマラソン大会に参加して、アブと知り合いになったのである。 そして、競技終了後、アブとSとSの友人の3人で隣町にあるショッピング・モールを見学に行った。

4月8日(月)

アブとジョシュアを成田10:30am発のNW76便に間に合わせるために、 早朝4時半に青梅の民宿「やまじょう」から立川駅まで車で送った。

2人は8時半に成田空港へ到着した。 真っすぐNWチェックイン・カウンターへ行き、二人揃ってチェックインして、手荷物以外の荷物を預け、ボーディングパスを貰った。 搭乗時間まで余裕があったので、アブは空港内の店でお土産を買って来ると告げて、 空港ロビーにジョシュアを一人残して、手荷物としては大き過ぎると思われる黒のバック・パックを背負って人混みに紛れた。 この時点からアブは消えたのである。まるで、サスペンス映画のワンシーンのようである。

ジョシュアはアブが戻ってくるのを待っていたが、搭乗時間が近づいても戻って来ないので、 一人で出国審査ゲートを通って搭乗ゲートへ向かった。 そして、出発時間が近づいても、アブが現れないので、仕方なく機内に入って自分の席に着いた。 この間ずっとアブを呼び出すアナウンスが空港中に流れていたのである。 しばらくして、機内アナウンスが流れ、ジョシュアが機外に呼び出された。 アブの連れということで、空港内でのアブの行動や言動を細かく尋ねられ、さらに、来日の目的等々も尋ねられた。 その後、既に機内に積み込まれていたアブの荷物が降された。 たくさんの荷物の中からアブのものを探し出すのには時間を要した。 そして、取調べの済んだジョシュアを再度搭乗させて、約1時間遅れでサイパンに飛び立って行ったのである。

航空機というものは、荷物とその荷物の持主が揃って搭乗しない限り、飛び立つことは決してない。 それは、荷物に爆発物を忍び込ませて、本人は逃亡すると言う古典的な航空機爆破テロを避けるための基本的な措置である。

機内から降ろしたアブの荷物の中身はというと、 前日にレースで着た汗臭いTシャツや下着などで値打ちのあるものは全く入っていなかった。 最初から捨てるつもりだったのである。 きっと、大切なものは、手荷物として肌身離さず持っていた大き目のバック・パックに入れておいたのであろう。

アブにとっては、貧乏から抜け出すための計画を実行に移しただけに過ぎないかもしれないが、 ジュシュアは、友人として信じていたアブに利用され、相当のショックを受けた。 「まさか、あのアブが自分を騙すなんて・・信じられない・・」と云う気持ちだったのである。 裕福な米国で育ったジョシュアは、最貧国バングラデシュで育ち、 時給3ドル5セントの肉体労働者としてマリアナに出稼ぎに来ているアブを自分と同じ尺度で見ていたのである。 後日、ジョシュア曰く「この歳にして、こんな勉強をするとは思わなかった。」

4月9日(火)

早朝、ジョシュアから大西のパソコンに 「昨日、アブが飛行機に乗り遅れて一緒にサイパンに帰って来なかった。」というメールが届く。 この時点では、ジョシュアもアブが単にミスで乗り遅れたのか、或いは、計画的に逃げたのか、 未だに100%の判断が付きかねている様子だった。 大西はジョシュアのメールから、アブは安い物がなかったので、地下にある成田空港駅近くのコンビにまで行ったのか、 或いは、空港の外へ買い物に出てしまって、搭乗時間までに戻れなくなってしまったのかも知れないと想像した。 あのアブが逃亡するなど想像もしていなかった。

そして、昼過ぎに、アブから「今日、早朝にサイパンに着いた。」と大西の携帯に電話が入る。 「そうか、よかったな。」大西はアブの言葉を信じて全く疑わなかった。 掛かってきた電話が運転中だったこともあり、携帯に残っているはずの着信番号の確認もしなかった。 アブに限って、成田から逃亡するなど夢にも考えていなかったからである。その後、アブの一件は大西の頭から消えた。

4月10日(水)

ジョシュアとアブの宿泊費を民宿「やまじょう」へ支払いに行った。 この時、ご主人の話の中から、アブは滞在中に頻繁にバス停にある公衆電話ボックスに出掛けていたことを知った。 早朝にも、深夜にも電話をかけに出たらしい。 公衆電話を利用したのは、民宿の電話では電話料金の金額が分からないためであった。 この時点でも、未だ、大西は「事の重大さ」に気が付いていなかった。 憧れの日本に来ることができ、嬉しさの余り、日本の友人たちに電話を掛け撒くっていたのだろうとのん気に構えていた。

■北マリアナ諸島ロタ島
4月16日(火)

第3回ロタブルー・オーシャンスイム大会(リンクは第4回のレポート)を20日(土)に開催のため、 夕方便でロタ島に到着し、ロタ・リゾート&カントリークラブにチェックインした。

夕食を摂って、大会の準備をしていたその時、10時頃、突然、アブからホテルの部屋に電話が入った。 アブは元々KFCロタ支部メンバーであるから、ロタブルー・オーシャンスイム大会の開催日は知っていた。 それに大西を初めとするKFCスタッフがロタに入る日程も青梅に来た時に伝えておいた。 だから、電話が入ること自体は不思議でも何でもないが、その会話の内容に問題があった。

アブは「今、韓国のソウルから電話している。」と言う。 「明日、サイパンに帰る予定。」と話す。「なぜ、韓国へ行ったのか。」という大西の問い掛けに対して、 「9日にサイパンに帰ってから韓国人の友人に誘われて、一緒に韓国に来た。」という。 それでは「韓国への入国ビザは?」という問い掛けに対して、「韓国は入国ビザが不要だった。」と答えた。 何かがおかしい、釈然としない。最貧国バングラデシュ国籍の人間にビザなしで入国を認めている国など、 世界中どこを探してもないはずである。厭な気持ちが襲ってきた。 この時点で初めてアブを疑い始めた。アブはこれだけを話すと一方的に電話を切ってしまった。 後から思えば、この電話は、大西が予定通りにロタに来ているかどうかの確認とロタ・リゾートに泊まっていることの確認のためであった。

仮に、アブが韓国入国ビザを取得するためには、米国領グアムにある韓国領事館に出向かなければならない。 なぜなら、サイパンには韓国領事館の出先機関がないからである。 ところが、バングラデシュ国籍の人間は米国領であるグアムに入国することができない。 だから、アブが韓国入国ビザを取得することは到底無理なのである。 念の為、翌日にアブの言動を確認することにした。

4月17日(水)

朝、友人のサイパン在住韓国人に韓国入国ビザについて尋ねる。 案の定、ビザ不要は嘘と分かる。 ここまでハッキリした以上、アブをこのままにしておく訳にはいかない。

早速、マリアナに構築しているKFCネットワークを使って、サイパン・イミグレーション(入国管理局)に手を回し、 アブの足取り(出入国記録)を調べてもらう。こんな芸当は誰にでもできるという訳ではない。 流石のアブもKFCがここまでのネットワークを持っているとは考えていなかったはずである。 「Urgency(緊急)」と伝え、2時間後に回答をもらうことにした。 しかし、9日に入国した記録も、10日に出国した記録も見当たらないという。 念には念を入れて、9日のサイパン到着全便と10日のサイパン出発の全便の搭乗者リストを当たってもらったが、 アブの搭乗記録はどこにも載っていなかった。これで、アブの嘘が証明された。 しかし、この時点でも未だ、アブの大それた計画には全く気が付いていなかったのである。 単に、日本で不法就労する目的で逃亡したくらいにしか考えていなかった。

4月18日(木)

早朝、アブの弟でジャマールと名乗るバングラデシュ人がホテルにやって来て、 兄貴のアブから預かっているはずの鍵を渡してくれという。 この時点で、鍵など誰からも預かっていなかった。 何のことやら、大西には全く話が見えて来なかった。 ロタにアブの弟がいたことすら、この時まで知らなかった。 この時点では、日本から電話を使って、ロタにいる弟を操っているとは想像もしていなかった。 恐るべき、策士アブ!

4月19日(金)

ロタブルー・オーシャンスイムの参加者である名古屋のFさんがロタに到着し、 「日本でアブから大西さんに封筒を預かって来た。」という。 その辺の経緯を聞くと、14日にアブから電話があり、封筒を送るので、それをロタに持って行って渡して欲しいとのこと。 その封筒の宛名はたどたどしい如何にも外国人が書いたと分かる字体で書いてあり、差出人は書いていなかった。 そして、その封筒の中には、小さな真鍮製の鍵が入っていた。 昨日、ジャマールが取りに来た鍵はこれのことだったのか、と話が結びついた。 調べた結果、その鍵はロタ郵便局の私書箱の鍵だと判明した。 直ぐに、郵便局に行き、この私書箱を開けて調べたが、中には何も入っていなかった!

Fさんはスイムやトライスロンの参加で何度もロタを訪れており、アブとは仲良しで、 以前から手紙や電話のやり取りがあった。だから、Fさんを運び屋として利用したのである。 そして、アブはFさんが19日にロタに来ることも織り込み済みだったのである。

■東京

アブは、9日の朝に成田から姿を消して以来、己の計画を遂行するために着々と動いていたのである。 何も知らない名古屋のFさんに連絡して、ロタの私書箱の鍵を運ばせたり、 ロタにいる弟ジャマールに電話したり、さらに、後に判明したことだが、 本国バングラデシュの役所や裁判所にも頻繁に連絡を入れていたのである。

■北マリアナ諸島ロタ島
4月20日(土)

第3回ロタブルー・オーシャンスイム大会を開催する。

4月22日(月)

早朝、ジャマールがFさんの泊まっているロタ・ホテルに大型封筒を持って来て、 これを日本にいるアブに届けて欲しいと頼む。 19日に、大西からアブの成田逃亡事件を聞いていたFさんは、朝食後、その大型封筒を持って大西の所にやってきた。 その場で、大西がその中身を調べたところ、驚いたことに、何と、 本国バングラデシュ政府2002年3月20日発行のアブ本人の出生証明書と裁判所が発行した独身証明書が入っていたのである。 これらには、本物であることを示す赤いノータリー・スタンプ(公印、或いは、公正証書であることを示す)が押印されていた。 これらはこの場で大西が預かることにした。

アブの大それた計画の一端が少し見えてきた。 アブは、単に不法就労を企てているのではなく、日本人と結婚して日本国籍を手に入れようとしているのではなかろうか。 そうだとすれば、その相手は誰だろう・・?相手に関しては思い当たる節がない。 アブの日本の友人は全てスポーツ・イベントを通して知り合った人たちばかり、すなわち、大西の知っている人たちばかりである。 その中にはそんな人の心当たりは全くいない。

弟ジャマールは例の鍵を使って、私書箱からこれらの書類を手に入れようとしていたのである。 大西がチェックした時は、未だ届いていなかったが、その後にバングラデシュから届いたのであろう。 アブとしては、19日には届いているものと計算していたのである。 おそらく、ジャマールが私書箱の管理人である郵便局のおばちゃんを騙して手に入れたのであろう。 チャモロ人は人がいいから直ぐに騙されてしまう。

Fさんへは帰国後アブから必ず電話が入るから、その時、 「航空会社のミスで、預かってきた大型封筒を入れたバッグが運悪く行方不明になってしまった。」と伝え、 「荷物が見つかったら連絡するからと言って、アブの連絡先になっている電話番号を聞き出して欲しい。」と頼んだ。 Fさんは、この日の夕方着で日本に帰ることになっていた。 大西がアブを捕まえるために、初めて罠を仕掛けたのである。 スイム大会の後始末もやっと終わり、この時からKFCの総力を挙げてのアブ探しが始まったのである。 「Hunt for Abu!」作戦の開始である。

大西も昼過ぎにはロタからサイパンに移動しなくてはならないため、ロタでの時間的余裕はなかった。 しかし、再度、KFCネットワークを駆使して、アブの正確な名前を知るため、 ロタ・イミグレーションからパスポートの写しを入手することにした。 外国人の場合、日常に使っている名前と正規のパスポート名とが大きく異なっている場合が多々ある。 この辺の習慣は日本人には理解できない部分である。

それ以外にも、アブに関する情報は何でも手に入れることにした。 もちろん、「Urgency(緊急)」と付け加えたことは言うまでもない。 この時ばかりは、普段はのんびり、おっとりのチャモロ人も素早く行動した。 KFCに何かたいへんなことが起こっていると感じたのであろう。

昼過ぎ、ロタ空港チェックイン・カウンターで搭乗手続きを済ませ、ボーディング・バスをもらい、出発30分前のその時であった。 ロタ政庁スタッフのアイクが空港ロビーに飛び込んできた。 そして、イミグレーションから入手したアブのパスポート・コピーを手渡してくれた。 アブの正式名が判明した。アブバカール・ラルチャン・フェイキルというらしい。 さらにイミグレーションからアブに関する最新の興味深い情報を得てきた。 それは、3月にアブからイミグレーションに対して、マリアナに再入国するために必要な 「リ・エントリー・パーミット(再入国許可書)」が申請された。 しかし、イミグレーションはそれを拒否したと言う。 そして、そのことを3月22日にアブ本人にすでに通知していると言うのである。

ということは、アブは4月に日本に向けて出国すれば、二度とロタ(北マリアナ諸島)には戻れないことを承知で日本に発ったことになる。 アブは腹を括って大博打に打って出たのである。 しかし、この時点でも、未だ、大西にはアブの計画の全容が見えてこなかった。1:30pm発の便でロタからサイパンに移動した。

■北マリアナ諸島サイパン島
4月22日(月)

プエルト・リコ地区にある在サイパン駐在官事務所に行き、アブの日本入国ビザ発給に骨を折って下さったKさんに会い、 現時点で判明していることを説明した。そして、KFCネットワークを通して手に入れたアブのパスポートの写し、 それに、運よくロタで手に入れたバングラデシュ発行の出生証明書と独身証明書を差し出した。 そして、これらのコピーを証拠としてKさんに渡した。

当局によって厳格に管理されている他人のパスポートの写しを大西が入手していることに少し驚かれた様子だった。 しかし、これくらいの人脈を持っていないと、KFCマリアナ・イベントに参加してくれる選手たち、 特に外国人である日本人選手に「何か事が起こった」場合、彼らを護ることができないのである。 だから、現地マリアナで信頼と人脈を核にしたネットワークを構築しておくことは、 現地でイベントを主催するKFCにとっては大切なことなのである。

立場上、Kさんはアブが日本国内に潜って、不法就労をすることを一番心配されていた。 大西はKさんに「必ずアブを捜し出して日本から出します。」と約束した。 Kさんのキャリアに泥を塗るような、本当に申し訳ないことをしてしまった。 幾ら謝っても取り返しがつかない。アブを一刻も早く日本から放り出さなければならないと強く思った。

続いて、ジョシュアの経営する法律事務所に行き、ジョシュアにアブの言動の一部始終を詳しく聞くことにした。 しかし、ジョシュアは、アブの道具にされたことで、未だに相当に落ち込んでおり、使い物にはならなかった。 また、アブを捜し出さなくてならないという責任感すら感じ取ることができなかった。 完全な諦めモードに陥っていた。

今夜、8時頃にはFさんは帰国しているはずである。 やや遅めの10時頃にFさんに国際電話をかけて、アブから電話があったかどうかを確認した。 案の定、帰国直後にアブから電話が入ったという。Fさんの協力で、策士アブが罠にかかったのである。 Fさんはアブの連絡先である電話番号を聞き出してくれた。「090−6110−××××」である。 しかし、アブの日本潜伏の状況から携帯電話をすでに手に入れているとは考え難い。 この時点で始めて、日本でアブを匿っている協力者がいると確信した。 この携帯の所有者が日本での協力者であることは間違いない。やっと、アブに一歩近づいた。

4月24日(水)

夕方、日本に帰国する。 在サイパン駐在官事務所Kさんの手前、一刻も早く、潜伏しているアブを探し出さなければならない。

■東京都青梅市
4月25日(木)

大西は090−6110−××××に電話をかけた。 すると、カーンという名の男が出た。その男はしっかりした日本語をしゃべった。 大西は「アブのことで話ある。」と切り出した。そして、「アブの居場所を正直に話さなければ、 この携帯番号を入国管理局と警察に通知して、お前とアブを本国バングラデシュに強制送還させる。」と脅かした。 しかし、カーンは、「アブは不法滞在している訳ではない。 なぜなら、アブのパスポートには3ヶ月間の滞在許可のスタンプが押してある。」という。 カーンはアブのパスポートを見ているのである。すでにアブに会っているということである。

パスポートに押される入国スタンプ(ビザ)というものは、個々の事情に関係なく、 日本の場合は、一律に3ヶ月の滞在日数を示すスタンプが押されるのである。 アブは、大西が後見人になることで入国できたと云う経緯や、8日には出国なくてはならないこと、 それに、成田空港で荷物を機内に残したまま逃亡したこと等々をカーンには伝えていないのである。 カーンの話し振りから、この辺の事情を全く知っていないことは明らかだった。 きっと、アブは自分に都合の良いように話を捻じ曲げて伝えたのに違いない。

とにかく先ず、最初に尋ねたのは、アブが日本国内で不法就労をしているかどうかであった。 カーンは「自分はビザについてはよく知っている。観光ビザのアブには仕事はさせていない。」と応えた。 ひと先ず安心した。

カーンとの会話で多くのことが判明した。 先ず、この男は日本人女性と結婚したバングラデシュ人で、成田空港の近くで貿易商を営んでいると言う。 そして、それまでアブとは面識はなかったが、アブは同じ地方の出身ということが分かったと云う。 アブは4月初めに、日本へ行くことをカーンに連絡して来たという。 さらに、7日に日本国内(青梅)から電話があり、8日に成田空港でピックアップして欲しいと伝えて来たという。 会話中に、わざと怒らせると興奮して後先を考えずにぺらぺらしゃべってくれる。 カーンはアブの嘘を信じ切っていた。

カーンの話の節々から推察するに、日本国内には、 我々日本人の知らぬところでバングラデシュ人たちによるイスラム教徒地下組織、すなわち、 バングラデシュ・イスラム・ネットワークが存在していることが分かった。 そして、それは本国バングラデシュにある海外出稼ぎ労働者を支援する巨大なシンジケートがあり、 それにも繋がっていることもわかった。 日本に行ったことがないアブが成田で暮らしている全く面識のないカーンと簡単に連絡を取ることができたのも、 このネットワークによるところが大きいと考えて間違いない。世界中に張り巡らさている華僑のネットワークにも引けを取らないだろう。

1991年7月、かつてのイラン最高権力者ホメイニの命を受けたヒットマンが日本に侵入し、 イスラム協について書かれたイギリス小説「悪魔の詩」の日本語翻訳者である筑波大学の教授を殺害して、 すぐさま成田空港から国外逃亡するという事件があった。 このヒットマンが逮捕されずに逃亡できたのも日本国内にあるイラン・イスラム・ネットワークのバックアップがあったからである。 だから、バングラデシュ・イスラム・ネットワークも侮れない。

貧しい国々では、海外で働く自国民が本国へ仕送りするカネが国家財源の大きな部分を占めている。 出稼ぎ大国フィリピンでもそうだが、バングラデシュも海外で働く自国民をバックアップすることに関して、国を挙げて力を入れている。

カーンは「アブは東京都内のビジネス・ホテルに滞在している。」と言う。 そして、「今、アブはロタに戻りたがっている。しかし、マリアナへの再入国許可証がないので、戻れなく困っている。」という。 「それでは、本国バングラデシュに戻れば良い。」と大西が言うと、「アブは絶対に本国へは戻りたくない。」と言っているという。

ここにきて、アブは己の人生を賭けた計画が大きく狂ってしまったことを悟ったのである。 日本人女性と結婚するためには、どうしても必要となる出生証明書と独身証明書が届かないのである。 アブの計画とは、何と、日本人女性Sと結婚することにあったのである。 すなわち、Sと結婚して経済大国日本に住んで、バングラディシュの貧しい生活から抜け出そうとしたのである。 そのためには、これらの書類が必要不可欠だったのである。

成田空港から逃亡した後に、青梅に住むSに電話を入れて結婚を申込んでいる。 だが、Sは英語がほとんど話せないし、アブも日本語が全く話せないときている。 これではお話にならない。それでも、多少意思は通じたのか、Sはアブが自分に対し「結婚」という言葉を持ち出したのに驚いた。 ロタ滞在中に、ランナー同士としてちょっと片言の英語で話をした程度のアブと結婚することはできないと、断っている。 アブは目の前が真っ暗になったに違いない。

その根拠は分からないが、アブはSを経済大国日本に住むための道具として使えると思ったのか、 或いは、Sが自分に好意をよせていると心底思い込んでやって来たのか。 はたまた、本国バングラデシュでは、女性は男性からの結婚の申し出を断らないというイスラムの風潮があるからだろうか。 宗教の異なる外国人の判断基準はよく分からないものである。 その上、ホテル生活が長引き、手持ちの軍資金も底をついてきた。 日本に来て、20日ほど経って、人生を賭けた計画も上手くいきそうにないと悟ったのである。

その後、Sから聞いたところに依ると、4ヶ月前、ロタでマラソン大会が終わった後、アブの家に招待されて、夕食をご馳走になったという。 でも、S一人ではなく、一緒に参加した日本人ランナー3人も招待されたという。 そして、翌日、アブが日本人4人を島内観光に連れて行ってくれたという。 その時、ファーム(農場)に立ち寄って、自分の農場だと紹介してくれたという。 しかし、出稼ぎ労働者のアブは、ロタでは家や農場を持っていない。 家はジョーの持ち家で、ジョーが留守の間、アブは管理を任されているだけである。 農場はジョーのファミリーの所有である。

■米軍横田空軍基地【東京都福生市】
4月24日

アブは横田空軍基地(Yokota Air Base)にいるジョーに電話を入れた。 そして、KFC主催の青梅山岳マラソンに来た経緯をざっと話し、 「ロタに戻りたいので、マリアナへの再入国許可証を取得して欲しい」と泣き付いたのである。

ちょうどこの時期、9・11ニューヨーク同時多発テロに対する報復として、 米軍がタリバン政権とアルカイダ掃討作戦のため、アフガニスタンへの攻撃態勢に入っていた。 横田は空軍基地(U.S. Air Force)のため、軍事物資や重機などをアフガニスタンに輸送するための重要な役割を担っていた。 その掃討作戦の一環として、米軍予備役のロタ出身ジョーがグアム米軍基地から横田基地に赴任していた。 その頃、ジョーはロタでのアブの後見人という立場であった。 だから、以前から、アブはジョーと親しく、ジョーが横田基地にいることも知っていた。 また、緊急用に電話番号も知らされていたのである。

万策尽きたアブは横田基地にいるジョーに電話をして、 もう一度ロタに戻れるようにマリアナへの再入国許可証を取得して欲しいと泣きついたのである。 アブお得意の泣き落とし作戦である。 アブはジョーが非常に優しく、情に脆いことを百も承知で、おいおい鳴きながら最初の電話を入れたのである。 そして、翌日、ジョーを訪ねて行ったが、アラブ系容姿のアブは基地へ近づくことができないので、 福生駅の近くのコーヒーショップで人目を忍んで会ったのである。 ここでも声を出して鳴きながら、まるで、自分が愚かな被害者の立場であるかのように話し、嘘をつき、ジョーを丸め込んでしまった。 人の良いジョーは可哀想と思い、ロタにいる自分のファミリーに電話して、アブの再入国許可証を手配してやったのである。 そして、5月ゴールデン・ウィーク明けに、アブは何事もなかったかのような顔をしてロタに帰って行ったのである。

5月8日

横田基地のジョーから大西へ電話が入った。 そして、「アブはロタに帰った。」と話した。 その瞬間「そうか、ジョーまで使ったか・・・。」 この度の日本訪問は、ロタからの逃亡でもあるため、ロタでの後見人であるジョーには伝えていなかったはずである 。だから、ロタへの再入国許可証を発給してもらうため、横田基地にいるジョーを使うとは思いもよらなかった。 またもや、アブにまんまとしてやられた。アブにとって、気が優しくて情に脆いジョーを騙すくらいは屁でもない。

5月10日

大西はジョーに会うために横田基地へ出掛けていった。

アブはジョーに大西やジョシュアを騙して、日本人女性と結婚しようと企んだことなど全く話さずに、 「青梅丘陵高水山岳マラソンに参加するために日本にやってきたが、 マリアナへの再入国許可が発給されていないので戻れない。」と話したそうである。 アブは大声を出して泣きながらジョーに幾度も「ロタに戻りたい。」と懇願したという。 「目の前で、アブが泣くのを見て、可愛そうだったから助けてやった。」とジョーは言った。 さらに、「基地内の警戒レベルが最も高いこの時期に、今後もアブと会ったり、 基地に連絡が入ったりするのは非常にマズイので、ロタに戻した。」とも話した。

なぜなら、この時、まさにイスラム圏国家と戦争状態にあったからである。 普段でも米軍兵士が、イスラム教国家の人間と会うには非常に神経を使うのに、 警戒レベルの高い時期にバングラデシュ人と会ったことが上官に知れるとジョーはミリタリー・ポリスの尋問を受け、 軍の監視下におかれる羽目になるからである。

横田基地正面ゲートにある「ビジター・センター」待合室の壁には、 基地内に入場が禁止されている反米国名が一覧表にして掲げられている。 その一覧表には、約60カ国が列記されており、中国、北朝鮮、ロシア、イラン、シリアなどに混じってバングラデシュもデカデカと掲げられている。 当然のことながら、反米国籍の人間と米軍兵士が交わることには厳しく禁止されているのである。

■東京都青梅市
5月11日

大西は、朝一番に、在サイパン駐在官事務所のKさんにアブは日本を発ってマリアナに戻ったことを連絡した。

アブの危険な本性を知ってしまった以上、平和な島マリアナに「曲者」を置いておくことはできない。 マリアナの魅力は何と言ってもそこに住んでいる人々にある。 身体は大きいが、気の小さい、心優しい人たちばかりである。 KFCがマリアナでスポーツ・イベントを開催するのは、何も、海や島が美しいからだけではない。 そこに暮らしている人たちが好きだからである。 また、KFCとしても、アブに道具にされた落とし前を付けねばならなかった。

5月12日

アブをマリアナから即刻追放することに決めて、マリアナの友人たちに連絡を入れた。 1ヵ月後、ロタ政庁から「アブはマリアナから追放した。」と連絡が入った。

誰も生まれてくる国を選ぶことはできない。だからと言って、こんなことをしても良いという理由などどこにもない。

2006年5月14日 KFC記