【コロナの総括】
成木ガーデンとパンデミック
Nariki Garden with COVID-19 Pandemic
from 2020 to 2023

2020年始め、突如として世界中をパンデミックに陥れた新型コロナウィルスの出現、しかし、「成木の家」活動にとっては、結果的にパンデミックは悪いことばかりではありませんでした。あらゆる社会活動が制限され、多くの空き時間が生まれ、それを利用して、「成木の家」から「成木ガーデン」へと一つ高みに上ったと感じています。

【すべての始まりは・・一言】

2010年夏頃、我々KFCトライアスロンクラブの良き理解者である地元成木7丁目の中島邦彦さんに「この辺りで訪れる人が休息できる場所を作れないだろうか」と 相談しました。思えば、この一言が全ての始まりです。因みに、中島さんとは現行の「青梅高水国際トレイルラン大会」の運営を第2回大会(2000年)からずっと手伝ってもらっている関係にあります。

その当時、1999年から始めた「青梅丘陵山岳マラソン大会」(現在の「青梅高水国際トレイルラン大会」)や2009年から始めた「東京ヒルクライムシリーズ」の効果で成木地区を訪れる人が徐々に増えてきていました。しかし、休息する場所、 トイレ、水道等々が皆無で、真夏の炎天下の道端に座り込んでいる自転車乗りを見かけることが多々ありました。 これでは「ダメだ」と感じました。近くに休息できるカフェやレストランはなく、頼みのコンビニは約10q(成木川の)下流に一つあるだけです。遠過ぎます。

【半年後、「成木の家」完成】

中島さんも同じ思いだったのでしょう、大西の思いを汲んで、かつて、そこにあった誰も使っていない古い木造平屋家屋を、角ログ造りの洒落た建物 (中島さんは「小屋」と呼ぶ)に改修し、僅か半年後の翌2011年1月には我々KFCにその運営を任せてくれました。さすが中島さん、電光石火の早業です。

当時の成木7丁目の自治会長であった井上さんによると、その古民家は中島さんの所有で、改修計画は前々からあって、 建物用の角ログ木材はすでにカットされた状態で、久しく倉庫に眠っていたとのこと。そのため、木材一部が虫に喰われていたほどだったと云う。 しかし、せっかく改修しても、それを将来的に活用する人、すなわち、若者がいないので、そのままになっていたと云うことでした。これらを思うと、タイミングが非常に良かったと思います。

そんな折、大西の一言があり、「大西ならば、KFCならば、その建物を地域のために活かしてくれるのでないか」という思いで、地域の人たち総出で、直ちに古民家の改修工事が始まりました。この時、大西は当初の設計にはなかった無理なお願いを一つしました。それは裏手のテラス(ウッドデッキ)の 増設です。オープンエアーのテラスは周囲の山や川、それに空気を直に感じることができる非日常のスペースとなるからです。自然豊かな成木にあっては、それがこの建物には必須と感じていました。

そして、その建物の名称は中島さんと 大西がキャッチボールをして、結局、「成木の家」に決まりました。 周囲からは介護施設のような名称とブーブー云われたのですが、「Simple is the Best」で通しました。今でも気に入っています。

【仕上げは西田光男】

間髪を入れず、KFCメンバーの鍛鉄工芸家西田さんに建物の用途を示すクオリティの高い大型看板とバイクラック2つを依頼しました。こちらの意を汲んだデザインから製作、そして設置まで全てやってくれます。もちろん、無料です。いつも無料でやってくれます、感謝です。これらがないと、何のための建物か分からないし、誰も気にかけてくれません。

大型看板にはめ込まれた板は地元成木の杉板です。「成木の家」の文字以外にも自転車乗りとトレイルランナーの微笑ましいシルエットがあります。さらに看板の右上には鉄を叩いて作ったとは思えないほど精巧な小鳥が止まっています。また、バイクラックは 子供がぶら下がって遊んでも怪我をしないように全ての角を丸く作ってあります。そして、肝心のバーの高さは ロードバイクに最適の105pで設定されています。

これらを設置したことで「成木の家」がKFCの活動拠点として、また、サイクルステーションとして、トレランステーションとして一気に生れ変わりました。 ハイクオリティの大型看板やバイクラック等々の演出は「成木の家」を活かすための非常に大切なアイテムです。

【持続可能な運営】

早速、その年(2011年)の5月、すなわち、改修の4か月後、「成木の家活動」の手始めとして、周囲の山々を駆ける 「第1回TOKYO成木の森トレイルラン大会」 を立ち上げました。目的は、地域の活性化の実践と「成木の家」の 賃貸料や活動資金等々の年間運営費の捻出です。すなわち、ここだけで完結する持続可能な運営を目指しました。

当初から「成木の家」は 地域活性化のために訪れる人の休憩場として無料開放で運営するつもりだったし、実際にその後約10年間はずっとそうしました。 「利用料無料」には訪れる人の皆が驚かれます。因みに、オープンは週末(土・日)のみで、寒い冬場(12月初め〜3月末まで)は クローズが基本方針です。活動開始から訪問者のお世話をする小屋番はKFC専属の看護士斎藤さんが担ってくれました。

【悪魔の足音】

2020年1月20日〜24日までサイパンに滞在していました。主な目的は、今後のタガマントライアスロンやサイパンマラソン等々のスポーツイベント開催に関して、マリアナ政府観光局との打合せです。

その13か月前、2018年10月25日にサイパンを襲ったスーパー台風YUTUからの復興が見えてきたので、そのタイミングに合わせての打合せです。運悪く、我々KFCもその時のYUTUの直撃を滞在中のサイパンで体験しました。「アイアンマン70.3サイパン」開催日を翌々日に控え、宿泊していた鉄筋コンクリート造りの11階建てのホテルが暴風で左右にグラグラ揺れ、窓ガラスは吹っ飛び、内部の壁が倒壊しました。9・11のNY貿易センタービル崩壊が脳裏を横切るくらいの凄まじい破壊力でした。そして、観光の生命線である空港が完全に破壊され、ホテルや道路や電気水道など主要インフラが一夜にして壊滅状態に陥りました。今、思い出しても、よく全員が生還できたと思います。

さて、いつも通りに観光局との打合せを終え、1月24日、サイパンからの帰り際、サイパン空港で質の悪い風邪が中国で流行っているというニュースを耳にしました。成田空港ではマスク着用を求められるかもしれないと感じながらサイパン〜成田路線の運航を始めたばかりのスカイマーク便に乗り込みました。ところが成田に到着してみると普段と同じ、誰もマスクなど気にしていないし、中国の悪い風邪の気配すらもありません。その時点では未だ日本のマスコミはどこも取り上げていなかったのです。

【新型コロナウィルス、日本上陸】

帰国後まもなくの2月始め、横浜港に寄港したクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号で新型コロナウィルスの感染爆発が起こりました。

マスコミは騒ぎ、政府はうろたえました。その頃は未だ新型コロナウィルスを得体のしれないものとし、日本中が恐怖に陥りました。翌3月に入り、それまでは想像もしていなかったマスク不足のパニック現象が日本中で起き、その恐怖に追い打ちをかけました。それを受け、翌4月、個人的な人脈を使って中国深センから急きょ3万枚のマスクを輸入しました。KFCの仲間たちを護るためと普段からお世話なっている近所の病院をサポートするためです。

そんなこんなで年間10本以上開催していたスポーツイベントが開催できなくなりました。当然、サイパンやパラオ等々、海外への大会開催に出向くこともなくなりました。また、6月にKFCの仲間たちと北イタリアへ10日間の「欧州自転車ツーリング第5弾」に行く予定でしたが、これも中止を余儀なくされました。ほとんど全てのKFC活動が休止となりました。感染症の怖さと人間社会の脆さを実感した次第です。

我々KFCにとっては、一気に時間の余裕が生まれました。世間は「3密」という言葉が流行っていました。すなわち、感染を避けるため、人々に「集まるな」ということです。そんな状況だったので、前々から気になっていたKFC活動拠点であり、サイクル兼トレランステーションとして開放している「成木の家」を整備して、もっと居心地の良い場所にしようと思い立ちました。成木地区は東京都青梅市の北部の山間部にあり、「3密」とは程遠いロケーションにあり、「3密」を避けて活動できます。因みに、その年末の流行語大賞を取った「3密」という言葉は、我がKFCメンバーの一人が小池都知事に提案したものです。

【パンデミックの影響と効果】

「成木の家」の立地は、正面玄関は道路に面し、西側と裏手には成木川が蛇行して流れており、その川の両岸は長年にわたるアンタッチャブルの領域です。アンタッチャブルの領域とは、雑草や雑木、それにつる植物が絡まった灌木が伸び放題で、数十年にわたって人の手が入っていない領域のこと。ヘビやムカデ、蜂やダニの巣窟になっていると言っても過言ではありません。それらを片っ端からやっつけていくのです。それなりの時間と思い切りがないとできない作業です。

先ずは2020年5月に入り、手のつけ易い敷地内の草刈りや伸び放題のモミジの木の剪定から始めました。翌6月に入って、川沿いの屋外スペースにピクニックテーブルを設置しました。コロナとの共存社会を考え、訪れる人に新鮮な空気と共に山と川を身近に感じることができる心地よい屋外スペースが欲しかったからです。

そして、次は裏手の川縁に密集する背丈ほどのイタドリの雑草場をやっつけることにしました。雑草のなかでもイタドリは強敵です。その土中にほとんどが埋まった状態になっていたかつての炭焼き窯があり、それを掘り出しました。ドラム缶ほどの窯が3つも出て来ました。そして、それを有効利用できなかと思い、少し手を加えてピザ焼き窯に改造しました。さらにその付近の川縁スペースを整地し、ピクニックテーブルを置いて、その場で焼き立てのピザが食べられるようにしました。

夏、水の恋しい季節になって、河原の整備清掃を始めました。地元成木育ちで、この辺りの川を遊び場にして育った市川さんが担当しました。先ずは、河原に生い茂っている雑草や川底にある陶器や金属片等々の除去から始めました。せっかくの清流なので清潔で安全な場所に整備し、我々昭和生まれの大人がかつて体験したような楽しい川遊びを近所の子供達にも体験してもらいたいと思ったからです。

案の定、1年後の夏には、子供だけでなく、大人にも人気のスポットになり、噂を聞きつけ、遠方からもたくさんの人が来るようになりました。その中には公共施設と思い込んでいる人もいました。さらに、「成木の家」の前面道路からつながる常盤林道の整備を、年間通して小屋番の五十嵐さんが担当しています。因みに、2019年から小屋番が斉藤さんから五十嵐さんへ変わりました。

【コーヒーマシンの設置】

2020年秋、次にデロンギ製のコーヒーマシンを購入しました。それまではカップオンのドリップバックコーヒーで訪れる人のおもてなしをしていました。しかし、どこのコンビニでも急激にコーヒーマシンが普及していることを思うと、「成木の家」にもその必要性を感じていました。コーヒーマシンにはそれ自体に存在感があり、ボタンひとつで、目の前でコーヒー豆を挽いて、淹れてくれます。さらに、その過程を音と香りで楽しめるのがコーヒー好きには嬉しい。お手軽なドリップバックコーヒーより本物感があり、通好みのエスプレッソが選択できるのもいい。

これを機に「成木の家」は「週末cafeスタイル」を取ることになります。外側から「何の建物だろう」と遠巻きに眺めるだけの人や室内に入っても落ち着かず、無料のなので、遠慮がちにされている人が多い。もし、これが「cafe」なら何をせずとも万人に理解され利用しやすいはずです。それならば、少額(200円)を施設利用料として支払ってもらいコーヒーやコーラやお菓子を無料提供し、遠慮なくトイレ(洋式ウォシュレットタイプ)を使ってもらったり、屋外ピクニックテーブル等々で気兼ねなく休んでもらう方が利用者に喜ばれるのではないか、と。

しかし、その3年後、2023年初夏、突然の保健所の指導で、不特定多数に飲食を提供するのはNGと指摘され、コーヒーやお菓子の提供はできなくなりました。但し、トイレの利用を含め、施設の利用は可能です。

それならばと、保健所対策として、7月21日に道路に面したスペースにコカ・コーラの自販機を設置しました。コーラはもちろんですが、 アクエリアスや麦茶等々、約20種類のドリンクが購入できます。また、傍にピクニックテーブルを常時設置しておきますので、「成木の家」が休みの日でも気兼ねなくご利用頂けます。また、トイレに関して、「成木の家」が休みの時は近くの上成木バス停の公衆トイレを利用でき、不便はありません。

【アンタッチャブルの本丸退治】

2020年10月に入って、いよいよ本丸退治に取りかかることに決めました。

本丸とは本格的なアンタッチャブルの領域、すなわち、成木川の両岸にある手付かずのボサです。対岸のクズのつるが 「成木の家」のモミジにまで届いてきたので、やっつけモードにスイッチが入りました。草刈機とノコギリだけでは歯が立たないので、チェーンソーが必須です。ここで近所の井田さんが助っ人に来てくれました。チャーンソーの名手です。

そこには太い梅の木が対岸に1本づつ、2本あり、久しく手入れされていないため、下枝のほとんどが枯れ、白化が進んで、成木川に垂れ下がっています。景観が良くない。さらにつる植物のクズがネットのように木全体に覆いかぶさっています。まるでお化けの様です。 これとは別に少し下流にもクズがネットのように覆いかぶさった樹木の塊があり、内部にある木の種類さえ判別できません。 取り除いてみると、すっかり元気がなくなったケヤキとモミジでした。

さらに、対岸の道路のガードレールに絡みついたクズや法面の雑草や灌木を取り除いてみると、下から美しい石垣が現れました。 個人的には、石垣は古人の血と汗と涙の結晶に思えて、いつも尊敬の念を抱いてしまいます。それに芸術的でもあります。

最後に、切り落としたボサの山のような木の枝や雑草は、先ずは下を流れる成木川の河原へ落としました。その中でも、梅の木は硬くて重い。量にしてダンプ2〜3台分はあったと思います。 それらは人力では移動せることができなかったので、乾燥させて、小さくカットして、河原で、材木焼却専用の大鍋で少しづつ燃しました。 燃す作業だけで丸4日間を要しました。燃すことでダニや害虫も駆除できます。結果として、クリ−ンになりました。また、 最後に良い炭ができたので、サツマイモを焼いて、皆で美味しく食べました。

【ウッドデッキの補修】

冬季は寒いので休んで、翌2021年6月初めから「成木の家」裏手の川に面したウッドデッキと大型テーブルの補修を行いました。11年間の長きに亘って雨ざらしの状態であったため、当然それなりに傷んでいます。この時季は梅雨との競争です。何とか梅雨の始まる前に防腐剤まで塗り終えたいと考えていました。

ウッドデッキの補修に関して、床板を全部はがして張り替えると云うのは我々素人の身の丈を超えています。よって、今ある傷んだ床板の上から新たに板を打ちつける方法を選択しました。これなら素人の日曜大工でもできると思ったからです。それにコスト的にも楽です。近所に住む陶芸家上泉さんが電動工具を貸してくれ、さらに手伝ってくれました。

材料はカインズとジョイフルホンダという大型ホームセンターで購入しました。品数は驚くほど充実しており、見て楽しいくらい何でもあります。 180cmx12cmの板を100枚ほどと、それらを留めるビス釘を1200本、それに木目の良さを損なわない防腐剤等々を購入しました。

最もハードワークだった作業は忍耐を要する防腐剤塗りです。2度塗りをしたので、炎天下で2日間を要しました。梅雨が迫ってきているので、休まず、 一気に作業を進めました。同じ姿勢を2日間も保つというのは本当に辛いものです。心身ともにぐったりでした。

【「成木ガーデン」へ名称変更】

翌2022年6月1日(水)、「成木の家」の看板に「garden」という文字を追加しました。

コロナ禍の時間を持て余した2年間に「成木の家」周りの雑草や雑木や粗大ゴミを処置し、ピクニックテーブルを充実させたり、 裏手を流れる成木川を皆が水遊びできるように清掃したり等々、屋外スペースを居心地よく充実させました。 すると自然と人が集まって来るようになりました。屋外スペースに手を加えることによって、この辺りの地形環境に価値が生まれたということです。

そうなると、「成木の家」というよりも「成木ガーデン」という名称の方がしっくりくると思ったので、西田さんに現在ある「成木の家」の大型看板に「garden」を加えて欲しいと頼んだ次第です。 最近では「成木ガーデン」と呼ぶ方が多くなりました。

今後、「成木ガーデン」から奥にある周囲の山々(高水山、岩茸石山、黒山等々)や渓流も「成木ガーデン」の一部と見なし、トレランや自転車レースだけでなく、あらゆる山系のアクティビティを取り入れ、森のディズニーランド版ができたらおもしろいと思います。その結果として、人が集まり、経済が生まれ、念願の定期バスの回数も増えます。当然、周囲の山々に携帯電話という通信インフラが完備されるでしょう。森林や水や空気を育む山資源は有望です。昨今、あまりフォーカスされていない林業ですが、林業には日本経済発展の有望な伸びしろが未だまだ眠っていると感じています。

【北欧スウェーデン製の物置小屋】

翌2023年3月、その「成木ガーデン」に北欧スェーデン製のお洒落な物置小屋がひとつ増えました。

訪れる人が増えてくると、「成木の家」の屋内スペースだけでは、不便を感じる時があると以前から思っていました。例えば、我々KFCが数名で大会の準備作業に使っている時や来客との打合せの時などに訪れた自転車乗りは遠慮がちになってしまう。また、毎週火曜日は青梅幼稚園に開放しているですが、これも同じです。

そんな下地があって、2023年始め、「成木の家」の東隣にある4坪ほどの雑草地に小さな物置(屋内スペース)を作れないかと思い立ちました。そして、Wi-Fiも完備できれば、と思ったのですが、Wi-Fiはメリットばかりではなと気付き思案中です。ここは「成木の家」ができるずっと以前からある雑草地です。いわゆる、アンタッチャブルの土地の一つです。

先ず、この計画を「成木の家」のオーナーでもある中島さんに相談しました。その土地は間口がなく、有効利用が難しいので、やればいいと賛同してもらいました。そして、その狭い土地の所有者が二人いることも、また、その土地の由来等々も教えてもらいました。そこはアクバと言って、かつては地元産の石灰石を焼いて石灰を作っていた場所ということでした。また、土地所有者の2人にも快諾してもらい、借りることができました。

物置小屋といっても、 元からある成木の家(角ログ造り)にマッチするように同じく角ログの小屋を選びました。せっかくだから、 ログハウスで有名な北欧スェーデンからカットされた角ログの小屋キットを購入し、組み上げることにしました。 窓枠もドアも、窓ガラスからドアノブまでキットに含まれています。さながら、大きな木製のプラモデルのようなものです。

2月中頃に「成木ガーデン」へカットされた角ログの塊が梱包され、10トントラック満載で運ばれてきました。3坪ほどの小屋なのに想像していたより材木の嵩が高いのでびっくりしました。大工さんによると、ログハウスは壁も材木なので、一般家屋より材木の量が多いということです。

その同封のカタログには素人でも大人2人で、10日間で完成できると記載があるのですが、大工の心得がなければ、絶対に不可能です。2カ月かかっても完成しないと思います。よって、基礎工事は地元成木の支会長である加藤(加藤土木)さんに依頼しました。小さな物置といえども重機を使い、生コンに網の目状に鉄筋を入れて、小屋とは思えないほど頑丈な基礎を作ってくれました。

それを傍で見ていた井田さんが「つぶす時はどうすんだよ!」と突っ込みを入れていたのが笑えました。そんな井田さんはその敷地に覆い被さっていた邪魔な太い桜の木をチェーンソーで切り倒し、処理してくれました。また、加藤さんは気を効かせて、依頼された基礎工事だけでなく、工事で出た石や土砂を利用して、敷地周りに石垣を組んで整地してくれました。それも含めて基礎工事は5日間で完了しました。因みに、加藤さんは12年前に「成木の家」の基礎工事もやっています。

次に、角ログを組む大工仕事です。これまた近所の武藤(武藤建築)さんにお願いしました。幸い武藤さんは過去にログハウスを組んだ経験が多くあったのでスムーズに組み上がりました。それでも周囲に足場を組んだりし、ログ専用の工具を用意したりで、大工さん2人で10日間ほどかかりました。やはり自分たちで組まなくてよかったと思いました。成木の場合、これくらいの建前は近所のマンパワーだけであっという間に完結します。成木の底力です。

【なぜ、北欧スウェーデンから?】

ログハウスは北欧スェーデン以外の北米カナダも有名ですが、北欧スウェーデンを選んだのには理由があります。

大西の人生初の書籍「ROTA BLUE COFFEE」の英語版がアマゾンを通して、2022年7月にアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スペイン、イタリア、 ニュージーランド、ポーランド、 スウェーデン、カナダ、オーストラリアの世界11か国で同時発売されました。さらに、幸運にも、その書籍がフランスでグルマン賞(世界料理本大賞)主催者エドアード・コアントローさんの目に留まり、グルマン賞を受賞できました。それも何とグランプリを受賞したのです。実は、発売1か月後の8月18日にコアントローさんからメールが届くまで、グルマン賞なるものを全く知りませんでした。因みに、コアントローさんは世界中で販売されている有名なオレンジリキュール「コアントロー」蒸留所のオーナーでもあります。

そのグルマン賞授賞式出席で、その年の5月に人生初の北欧スウェーデンへ行く予定になっており、これも何かの縁と思い、北欧スウェーデン製を選んだ次第です。また、その英語版の元になった日本語書籍は2021年秋に「成木ガーデン」で書き上げたものです。それができたのも、パンデミックで十分な時間ができたからです。

【最後に】

新型コロナウィルスによるパンデミックは猪突猛進中の大西に強制的に立ち止まる時間を与えてくれ、それまでできなかった多くのことに気付かせてくれました。今となって思えば、パンデミックも悪いことばかりではありませんでした。でも、もう二度と起って欲しくはないと切に願います。

2023/12/11 KFC記